企業法務部で働く人が入社までに勉強しておいた方がよいこと
この記事を今読もうとされている人は、おそらく、来年から企業法務部として働くことになったという人が多いのではないでしょうか?
就職活動を行うに際して、会社の人と会い、法務部の仕事の内容についての研究もかなり進められたことでしょう。そのため、大分法務部の仕事のイメージは持っているのではないかと思います。
しかし、まだ実際に法務部の仕事をしたことがあるという人は少ないでしょう。そのため、もちろん、来年からの新しい生活に希望を持っている一方で、漠然とした不安も感じているかもしれません。
具体的には、「今から入社まで、まだ時間があるから、何か勉強しておいた方がよいことはないだろうか?」と考えているのではないでしょうか?
実際、企業から内定を得た後で、来年から先輩や上司になる人に、その手の相談をしているかもしれません。その方々からは、どのようなアドバイスをいただいたでしょうか?
「民法を軽く復習しておいて」
「英語のTOEICスコアをもう少し上げておいて」
などというアドバイスもあったかもしれません。
このような勉強は、決して間違っているとは言えませんが、十分ではないし、もっと的を絞った勉強をしておいたほうが良いと私は考えます。
この記事では、企業法務部で働き、また、入社して間もない若手の方々の教育係をした経験から、「入社までに勉強しておいた方がよいこと」を解説したいと思います。
そもそも、今から入社までの間に勉強しておく必要はあるか?
まず、上にあるような疑問を持たれた人も多いかもしれません。
これに対する答えは、「勉強しておいた方が断然良い」です。
その理由を以下の5つにまとめました。これから、1つ1つ詳しく見てきましょう。
1.仕事をこなすのに疲れてその後勉強する気になれない
2.仕事をこなすのに精いっぱいで、忙しく、勉強まで手が回らない。
3.OJTだけでは成長できない。
4.30代~40代になっても実は仕事に自信を持てずに悩んでいる人が多い。
5.留学のための勉強もしなければならない。
1.仕事をこなすのに疲れてその後勉強する気になれない
もしかすると、「自分は学生時代、運動部に所属したり、アルバイトをしていたが、それでもちゃんと勉強時間を確保して毎日しっかり勉強していた。だから、会社に入ってからも、退社後に勉強するつもりだ」と思っている人もいるかもしれません。
それは大変すばらしいことです。
しかし、入社したばかりのころは、とにかく会社生活を送ることだけで疲れます。
その疲れは、単に肉体的なものに限らず、精神的なものも含まれます。
そして、この精神的な疲れは思った以上に深刻です。
中には、かつてないほどのストレスを感じる人もいると思います。
よく言われることですが、社会人でもっとも大変なのが、「人間関係のストレス」です。
先輩・教育係・上司・・・。これらの人々を新入社員は自分で選ぶことはできません。そのため、学生時代までなら、絶対に自分から仲良くなろうとはしなかったタイプの人と一緒に仕事をすることになります。そして、最も重要なのは、そのような人の指示・命令に、ほぼ絶対に従わなければならないということです。
このことによって感じるストレスは、おそらく、これまでの人生で感じたことがないほどのレベルです。
もちろん、これは人によるもので、先輩や上司がみんないい人たちで会社に行くことに何のストレスも感じない、という人もいると思います。
しかし、仮に同じ部署の方々はよくても、たとえば、営業の方など、異なる部署で一緒に仕事をすることになる人の中には、やはり、自分にとって大きなストレスになる人がいることの方が通常だと思います。
そういう環境では、慣れるまではとにかく気をつかますし、そして疲れます。
その結果、学生時代に部活やアルバイト後に感じたものとはレベルの違う疲れを感じることになると思います。
そのくらい疲れると、とても、学生時代のように、毎日規則正しく勉強をするなんてことは、なかなかできなくなるのです。
そのためか、私が入社した電機メーカーの法務部長は、入社当初、新入社員にこのようなことを言っていました。
「とにかく、毎日15分でもいいから退社後に勉強をするべきだ」
私は当初、この言葉に驚きました。15分の勉強なんて、当たり前にできるだろうと感じたのです。司法試験を目指していたころは、毎日10時間以上勉強していたのです。15分なんて当然にできる、いや、毎日1~2時間くらいは勉強できるだろう。こう考えたのです。
しかし、実際に仕事が始まると、私は仕事とそれにかかわる人間関係で疲れ果ててしまい、大して残業をしているわけではないのに、毎日、勉強時間がゼロの日々が続きました。
会社員は、退社後に勉強するのは、決して簡単なことではないのです。私の感覚では、ほとんどの日本の社会人は、退社後に自分で勉強をしていないと思います。退社後は、夕食を食べて、テレビかyou tubeか何らかの動画をみて、あとは寝るだけ、という人が通常だと思います。
これは、まだ会社で仕事をしたことのない、やる気に満ち溢れた学生の方々からみると、信じられないことのように感じるかもしれませんが、現実です。そして、この記事を読んでくださっているあなたも、おそらく、そのような社会人になる可能性が高いです。それは、怠けているということではなく、仕事で受けるストレスは学生時代に感じるストレスの比ではないためです。
そして、入社後なかなか勉強時間が取れない結果どうなるかといいますと、「なかなかできるようにならない」のです。もちろん、最終的にはみなさんそれなりにできるようになります。しかし、それは、毎日仕事をこなす中で少しずつ経験が増え、それに伴い知識が増えていくからで、それにはそれなりに長い年月がかかります。
私が電機メーカーに入ったときには、「10年で一通り経験して一人前になる」といったことを言われました。例えば、ロースクールを卒業してから企業に入社した人は、30代中盤から後半にならないと一人前になれないのです。これを長いと感じるか短いと感じるかは人それぞれですが、入社後10年間も、いまひとつ自信が持てない、このままで大丈夫なのだろうか?という思いをもって日々働き続けることになるのです。ちょっと長すぎるような気がしませんか?
社会人は、仕事だけをしていればよいわけではありません。恋人との関係もあるでしょうし、家族を作り、その生活をストレスなく楽しめためには、会社の仕事に大きな不安を感じるという状態はなるべく早く排除した方がいいのです。
仕事ができなかったり、自分のキャリア形成に自信が持てなかったりという状態では、プライベートでも不機嫌になってしまいがちです。そうすると、人生全体に悪影響を及ぼします。
というわけで、「入社してから勉強すればいい。今は最後の学生生活をenjoyしよう」と思う気持ちも十分わかりますが、それこそ、今のうちに少しずつ勉強して基礎力を身につけ、できれば実践力に近いレベルにまで高めておく方が、後々のことを考えると大変楽になると思います。
2.忙しい点について
会社に入ったばかりのころは、学生時代までどんなに優秀であった人でも、できないことばかりです。
その理由は、何もかもが初めてだからです。
初めてやることは、なんでも難しいのです。
もちろん、法務部に配属される人は、学生時代に法律をまじめに勉強してきたり、中には司法試験に合格しているという人もいることでしょう。
しかし、それでも、事業部門からのほとんどの相談に対して、自信をもって回答することはなかなかできません。
それは、実務は、法律よりも、むしろ契約に基づいて遂行されているからです。
「民法ではこうなります」とわかっていたとしても、契約で別のことが定められていれば、多くの事項は契約に従うことになります。
また、「契約にどう定めておくべきでしょうか?」と質問された場合には、その業界で通常どのような定めが置かれるものなのかを知らないと、四角四面な回答しかできないものです。
そして、普通どのように定められているのか?という点は、ある程度の実務経験をこなさないと見えてきません。
このような理由で、契約業務1つとっても、学生時代の知識だけでは簡単にはこなせないことが多いのです。
すると、仕事の時間にたくさん調べる必要があるのはもちろん、もしかすると、残業をしないと終わらない、ということも起こり得ます。
新入社員に残業はさせない、というところが多いと思いますが、それでも、労働時間内に終わらなかったことについては、帰宅後に自分で調べようとする人もいることでしょう。
つまり、勉強する時間をなかなか取れず、その日その日の仕事をこなすために時間が費やされることになります。
3.OJT頼みではなかなか成長できない点について
こうして、なかなかやりたい勉強の時間を採ることができないことが多いのです。その結果、どのようになるかというと、仕事で経験した分しか知識が増えないという状態になります。そして、仕事の経験は、体系的にできるものではありません。基礎的なことから順番に事業部門が相談をくれるわけではないので、知識は飛び飛びに得ることになります。悪い言い方をすると、何の脈絡もない知識が日々押し寄せてくるイメージです。この結果、基礎的な知識を応用させるということもしにくくなります。「前に一度聞かれたことしか自信をもってこなせない」というようになるのです。
OJTのみに頼っていると、自分がどこまでレベルアップできるかは、置かれた環境に大きく依存することになります。法務部といっても、企業によって扱う案件は大きく異なります。M&Aがやたらと多い企業もあれば、海外案件が多い企業もありますし、ほとんどが国内案件に限られており、海外案件は年に数件程度、という場合もあります。また、ある年は大規模案件が多かったが、次の年は小型案件ばかり、ということもあります。OJTに頼るということは、そのような偶然自分が担当することになった仕事の範囲しかこなせないようになるということです。すると、たとえば30代に入ってもっとスキルを高めたい、と感じて転職活動をしようとしても、ライバルとなる人たちよりも劣った能力しか身についていないという状態で競争しなければならなくなりえます。これは転職活動を行う上で、不利ですよね?
もちろん、OJTは重要です。しかし、OJTで得た知識をより体系化して、応用を聞かせられるようにしないと、他の企業では通用しない、ということになります。すると、仮に転職できても、「年を取った新入社員」のような感じで転職先での仕事をスタートしなければならなくなるおそれがあります。
4.実は30代~40代でも悩んでいる点について
企業法務部として自信をもって仕事をこなせるようになるには、どのくらいの時間がかかると思いますか?
もしかすると、数年くらいでできるようになるのでは?と思っている人もいるかもしれません。
もちろん、そのような人もいるでしょう。しかし、そのような人は一握りです。多くの人は、30代中盤以降、もしかすると、40代でもいまひとつ自信を持てないままでいる、という人も少なくありません。
その理由の1つは、なかなか体系化された教育を受けたことがないことにあると思います。
学生の頃とは異なり、企業では、基礎から順番に学習する教育プログラムというものはないのが通常です。OJT中心であり、研修は受けたい人が自分で受ける、という形になっていることが多いです。そのため、個々人のやる気と能力によって、一人前になるのにかかる時間は異なるのです。
本郷塾のオンラインセミナーを受講される方も、30代~40代の方は割と多くいらっしゃいます。むしろ、新入社員の方は少ないです。おそらく、新入社員の方の多くは、日々の仕事に忙殺されており、自分で退社後に勉強をする、という余裕がないのだろうと思います。そして、30代以降に「このままではまずい。しっかり体系的に学習しよう」と思って本郷塾のセミナーを受講しようとされる方が多いのだろうと思います。
このことを踏まえると、入社前の時間のある時期に基礎から学んでおくことは、その後の成長スピードに大きく影響するといえそうです。
5.留学について
また、企業法務部に配属される人は、米国などのロースクールに留学したいと考える人も多いです。ただ、そのためには、通常、社内選抜で留学の権利を勝ち取る必要があります。そのための基準は会社によって異なると思いますが、通常はTOEICなどの英語力です。そのための勉強を退社後にする必要があるので、そのほかの、仕事に直結するような事項への勉強をする時間がなかなかとれないということもよく起こります。仕事に全力を傾けていると、留学のための勉強ができず、社内選抜に勝ち残れない、という事態です。「仕事のスキルは上なのに、英語力で負けたから留学にいけなかった」となると悲しいし悔しいので、どうしても留学向けの勉強に力を入れるようになります。すると、本格的に仕事のスキルを高めるのは、留学後ということになります。しかし、留学後は、既に30代になっていることが多く、ときには30代後半になっているということもあるかもしれません。その後のキャリア形成を考えると、これはこれで問題ですよね?
よって、こうした意味でも、法務部に配属されるまでに、仕事に関係する事項の基礎力、できれば実践力を勉強しておき、余裕をもって社会人生活をスタートさせることができたら、周りの同期や年の近い先輩と比べて有利になるのです。
何を勉強しておくべきか?
では、企業法務として働くうえで何を勉強しておくべきか。私が考えるのは、以下の事項です。
1.和文の契約書のチェック
2.英文契約書のチェック
3.独禁法
4.国際税務
5.合弁契約
色々ありますが、以下で、1つ1つ深堀していきます。
1.和文の契約書のチェック
企業法務の中で最も多い仕事がこれになると思われます。国内企業同士の取引では、ほぼ必ず契約書を締結します。企業によって全件法務がチェックするかどうかに差がありますが、大きな企業ほど、チェックするべき契約書の数は多くなります。それだけ、スピーディーに読んで正しくチェックして、修正するスキルが求められます。このスキルがないと仕事がどんどんたまっていきます。その結果、仕事を持ち帰り、休日も契約書をチェックするという生活になってしまいす。
2.英文契約書のチェック
海外で事業を行う企業であれば、必ず英文契約書をチェックして修正する仕事があるはずです。AIの発達により、この仕事は大分楽になると思いますが、それでも、完全にAI任せにはできません。AIがチェックした内容が正しいのか、漏れはないのかをチェックする能力は必要です。そのためには、やはり、英文契約書を英語のまま読んで修正する力が必要になります。
3.独禁法
独禁法は、大学で学んだことがある人もいるでしょう。しかし、司法試験の科目として勉強したわけでもない限り、そこまで詳しくはないはずです。例えば、三大行為類型の違いを理解している人は意外と少ないです。
また、事業部門から、「今度こういうことをしたいんだけど、法的な観点から問題点ある?」と質問されたときに、独禁法の観点からその場でポイントに気がつくことができる人もなかなかいません。そのような能力は、結構本気で独禁法を勉強した人だけが持ち合わせています。
逆に、独禁法をよくわかっていないと、なんでもかんでもリスクがあると感じてしまいます。結局、「やめた方が無難」という回答ばかりをするようになると、法務としての信頼は失われます。
よって、独禁法についても、基本的な知識を持っておくべきです。具合的には、上のような相談を事業部門から受けたときに、正確な回答をその場で出せなくても、三大行為類型のどの問題なのか、そして参考書のそのあたりの事項を読めば結論が出せそうか勘所がわかり、さらに、違法となるか否かのおおよその相場観を持てるようになるくらいの能力はあった方がよいでしょう。
4.国際税務
税務は経理や財務の仕事で法務には関係ないのでは?
こう思った人も多いかもしれません。
しかし、結構関係します。
事業部門からの相談を受けていると、「税務上の問題を検討した方がよいのでは?」と感じる時があるのです。
しかし、そのようなときに、事業部門の人が税務上の問題点に気が付いていないこともよくあり、そのまま進めると、事業部門の人が経理や財務に相談せずに進めてしまいそうになることがあるのです。
このようなときに、法務の人が、「これはこれこれこういう観点で税務上気になる点があるので、経理に相談してみましょう」と言えたら、大分法務に対する信頼が高まります。
具体的な税務上の検討を行うのは法務ではないのですが、こういう指摘をできるだけで、「できる法務」と認識してもらえます。
よって、国際税務については、基礎的な事項を学んでおくべきなのです。
5.合弁契約
合弁契約とは、自社と他社とで共同して出資して新しい会社を設立し、運営していくために交わされる契約です。企業は、この合弁契約を締結することが時々あります。合弁契約は法務が関わる案件の中では比較的大きな規模の案件であることが多いです。他社との交渉にも法務が大きくかかわります。その分、やりがいもあります。社内でも、トップクラスの役員に報告することが割と多い案件です。そのため、合弁契約をどのような流れで進めることになるのか、ポイントとなるのはどのようなものなのかを事前に理解しておくことは、積極的にこの種の案件にかかわることができるようになるための最低限のスキルと言えます。