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本郷塾で学ぶ英文契約

subject toとポツダム宣言の受諾 どうして議論がまとまらないのか?

2022/05/22
 
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英文契約・契約英語の社内研修をオンラインで提供しています。本郷塾の代表本郷貴裕です。 これまで、英文契約に関する参考書を6冊出版しております。 専門は海外建設契約・EPC契約です。 英文契約の社内研修をご希望の方は、お問合せからご連絡ください。
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1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下された。

 

8月8日、ソ連が日本に宣戦布告をし、日ソ中立条約を破って侵略を開始。

 

8月9日、長崎に原子爆弾が投下された。

 

このような状況の中、日本では米国、英国、中国からなる連合国側から提出された13条のポツダム宣言を受け入れることで戦争を終結させるか否かについて協議がなされていました。

 

このとき、日本政府が確保しておきたかった条件は一つでした。

 

それは、「国体の護持」つまり、「天皇制を維持」することでした。

 

簡単に言うと、日本が降伏しても、決して「天皇制を廃止する」とか、「昭和天皇を退位させる」といったことにはならないようにしてほしい、ということです。

 

日本は連合国にそのような「条件付きの受諾」の意思を伝えました。

 

米国はこのとき、どうして日本がそこまでして皇室をありがたがるのか理解していませんでしたが、「そこまでこだわるのなら」として日本の要求を受け入れることにしました。

 

このときの連合国側の回答が、サンフランシスコ放送によって流され、それを日本の外務省、陸海軍、同盟通信などの海外放送受信所が傍受しました。それは8月12日のことでした。その傍受した英語の翻訳は以下のようなものでした。

 

「日本国天皇および政府の統治権は、ある場合には連合軍司令官にsubject toすることがある。

 

日本国最終の政治形態は、日本国民の自由なる意思によって決定せられる。」

 

ここで、subject toの解釈を巡り、日本政府は2つに割れます。

 

1つは、subject toは、「~の制限下に置かれる」といった程度の意味です。これは外務省の翻訳です。降伏する以上、連合軍司令官の制限下に置かれるのは当然と言えます。降伏したのに一切連合軍の要求を聞かない、なんてことはあるわけがないので、これは当然のことを述べたこと、となります。

 

一方、2つ目は、subject toを「隷属する」と解釈するものです。つまり、「なんでもいいなりにならなければならない」という意味に捉えました。この場合、連合軍司令官がもしも「天皇制廃止」とか「昭和天皇退位」などを求めてきた場合にもそれに従わなければならないという意味となります。

 

さて、ここでいうsubject toはどちらの意味と解釈すればよいのでしょうか?

 

ここで、1つ目の意味に解釈した人たちは、連合軍の回答にあった「日本国最終の政治形態は、日本国民の自由なる意思によって決定せられる。」という文言に注目しました。これによれば、日本の政治形態をどのようにするかは、最終的には日本人で決めることができることになります。つまり、連合軍が何を言っても、最後は日本人で決めていいからね、ということです。これであれば、仮に「天皇制廃止」とか「昭和天皇退位」と連合軍から言われても、日本はそれを拒否することができるわけです。

 

ということは、「日本国天皇および政府の統治権は、ある場合には連合軍司令官にsubject toすることがある。」という文章のsubject toは、決して「なんでも言われたことに従わなければならない」という意味である「隷属する」というものではなく、「制限下に置かれる」といった程度のものだろう、と解釈できます。

 

しかし、2つ目の「隷属する」と解釈した人たちは、次のように主張しました。

 

天皇制は、そもそも国民の意思でどうこうなるものではなく、生命が誕生したときから存在するものである。その天皇制の存続が国民の意思に委ねられるという解釈は成り立たない。これは、天皇制を廃止することにもつながり得る」

 

その結果、2つ目の解釈をした人たちは、「連合軍の回答には承諾しかねる」という意見になりました。

 

このとき、日本政府が連合軍に降伏する場合でも絶対に死守したい事項として挙げた「国体の護持」が本当に確保されるのかを連合軍に再度確認するべき!という意見と、「そんな確認をしていたら降伏の時期を失う、このまま受諾しよう!」という2つに大きく分かれました。

 

原爆を2つも落とされ、ソ連も侵攻を初めていたので、もしもここでポツダム宣言の受諾の意思を速やかに表明しないと、さらに大勢の日本人が命を落としかねない状況にありました。

 

この点、米国としては、最大限、日本政府の要求を受け入れたつもりでした。つまり、「最終的には日本国民によって政治形態が決められる」と回答したのだから、天皇制が維持されることは明確だと考えたのです。そのため、日本がどうしてポツダム宣言の受諾を渋っているのか理解できませんでした。

 

この問題は、結論としては、昭和天皇が降伏を受け入れようと決意したため、連合軍に更に確認をすることなく、8月15日に日本はポツダム宣言を受諾し、終戦となりました。

 

ここで問題です。

 

上記のsubject toの解釈についての本質的な問題点はどこにあるのでしょうか?

 

この点、もしかすると、subject toという表現を使った連合軍に落ち度があり、より明確に日本政府に回答するべきだった、と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

 

しかし、そうではありません。

 

この問題の本質は、「日本にとっての天皇制とは何か?」が米国には理解されていなかった、という点です。

 

米国は大統領制です。大統領を国民の投票で選出するのです。

 

つまり、国民の意思が大統領を存在させているのです。

 

一方、天皇制は大統領制ではありません。生命の根源的存在であり、誰が選ぶといったものではないのです。

 

そのため、連合軍がせっかくつけてくれた「日本国最終の政治形態は、日本国民の自由なる意思によって決定せられる。」という文言に対しても、一部の日本人からは、「いやいや、そもそも国民の意思によって決定できるものではない。国民の意思に委ねられることにすることそれ自体が天皇制=国体を壊すことになる」という、連合軍には到底理解できない反論が生まれるのです。

 

なので、決してこの問題は、subject toの意味が本質なのではなく、協議している日本と米国が、前提となる「天皇制とは何か」という点について同じ認識を持てていなかったこと、が本質的な問題なのです。

 

これは通常の契約交渉やその他の議論においても生じる問題です。

 

総じて議論とは、話し合っている当事者間が、議論の前提となる事実について共通認識を持っていないと嚙み合わないようになっています。

 

途中までは噛み合っていたような気がしていたのに、いつの間にかお互いに相手の言っていることの意味が分からなくなってくることがよくあります。

 

そういうときは、いたずらに形式的な文言の議論に終始せず、お互いがそもそも前提としている事実を確認するべきです。

 

それをしないと、いつまでも議論はまとまりません。

 

「今の議論は、これこれを前提にしているけど、その認識で合っている?」

 

「その前提とは、つまりはこういうことなんだけど、その点ずれてない?」

 

こういう確認作業をお互いにしていくことで、議論は整理されていきます。

 

それにしても、もしも1945年8月に、subject toを巡る問題で、日本政府が意地になって「天皇制とは何か?」を連合軍に説明し切ろうとしていたら、どうなっていたでしょうか?人は、自国にない制度を容易に理解することはできないものなのではないでしょうか?もしもそのような日本政府の説明が反撃のための時間稼ぎに違いないと連合軍に受け取られていたら・・・。

 

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