司法試験に落ちたあとの人生について
今年も司法試験に落ちた・・・
という方は、大勢いると思います。
この記事を読んでくれているあなたも、もしかしたらそうかもしれませんね。
あなたは、今年で5回目の司法試験でしたか?
あなたは、まだ来年も受けることができる人ですか?
あるいは、ロースクールに在籍中であり、まだ司法試験を受けたことがない人ですか?
そのどれに当てはまる場合でも、今、大変な状況にあることに変わりはないでしょう。
なぜわかるのか?
それは、私も司法試験を目指し、そして結局、合格できずに諦めた人間だからです。
私と司法試験
私は、1年間の浪人の末、大学は、工学部に入りました。
その時点で、私は将来、どこかのメーカーに技術職として入るのだろうなと漠然と自分でも思っていました。
しかし、工学部に在籍中に、猛烈に検察官になりたくなりました。
調べてみると、検察官になるためには、司法試験に合格しなければいけないことを知りました。
さらに、司法試験は、法学部を出ていなくても、受けられる試験だと知りました。
どうしようかな・・・
と数カ月間悩んだのですが、結局、司法試験に向けた勉強を始めました。
勉強を始めてみると、法律の勉強は、やりがいがありました。
覚えることは多いですが、実際に起きた事件でどのように法律を適用するのか、ということは、面白いと感じました。
大学を卒業するとき、工学部の同期のほぼ全員が、工学部の大学院に進みます。
しかし私は、工学部の大学院に進むよりも、法律の方に強い関心を持っていたので、大学院は法学研究科に進むことにしました。まだロースクルールが始まる前でした。
法学研究科に進み、一日の大半を司法試験に向けた勉強に費やした結果、成績は大きく伸びました。
しかし、結局は、26歳の時点でも、択一試験には合格するものの、メインである論文試験には合格できていませんでした。
26歳・・・。
今かから振り返ると、まだまだ若かったです。
そこで諦めずに、あと数年目指し続けるのも全然あり、とも思えます。
しかし、26歳にもなると、大学の同期のほとんどは就職をして、会社で働いています。
そんななか、来る日も来る日も、自宅と図書館の往復をし、ただただ教科書を読み、問題集を解いているというのが、情けなくなりました。
26歳にもなって、こんなことしていていいわけない・・・
そう思いました。
また、このころになると、果たして自分は本当に検察官になりたいと思っているのかもよくわからなくなってきました。
そして何より、数年間自分なりに必死に勉強しても合格しないということは、自分は検察官には向いていない人間なのではないか?と思いました。
さらに、今後数年間目指し続けても合格できない場合、就職先すらなくなるのではないか?ということが怖くもなりました。
そうして、結局私は、26歳の夏に就職活動を始め、9月には電機メーカーから内定をもらい、そのときに、司法試験を諦めました。
その後は、ずっと電機メーカーで企業法務として仕事をしました。
司法試験に落ちたあとの人生
その後、自分と同じように司法試験を目指していたが合格できずに会社に入ってきた後輩に、よくこんなことを聞かれました。
「司法試験を諦めたこと、後悔していませんか?」
これに対する私の答えは、「後悔したはことない」です。
むしろ、あの時、司法試験を受け続けることを諦めて、よかったな、とすら思っています。
それは、司法試験を目指していたころに想像していたものと、実際の会社生活が、全く異なっていたからです。
電機メーカーでは、法務部に配属されました。
その間、仕事で様々な国に行く機会を得ました。
その中で、会社に入るまでは全く話せなかった英語も、なんとか仕事でつかえるようになりました。
様々な案件における契約交渉も経験できました。
海外に新しい会社を立ち上げたり、他の会社と提携関係を作ったりするのを支援する仕事も経験もできました。
さらに、これは自分の中ではかなり貴重な経験だと思えているのですが、「会社における組織とはどういうものなのか?」ということも、十分に知ることができたように思います。
もしも司法試験に合格し、検察官になっていたら、自分はおそらく、会社で働く機会を一生得られなかったかもしれません。
しかし、会社生活を送ることができたことは、自分にとってはとても貴重で、欠かすことができない経験だったように今では思えています。
もちろん、司法試験に合格した後の人生も、それはそれで色々な経験をできるはずで、もしも自分が合格していたら、「やっぱり司法試験に合格してよかった!」と今頃言っていたはずです。
しかし、その場合、私は、他の世界があることを知らずに生きていたと思うのです。
今では、司法試験に合格した世界もあるだろうし、電機メーカーに入って企業法務としての世界もあるし、そしてそれ以外の世界も、経験はしていないものの、とにかく様々な世界が間違いなくある、と思えていますが、果たして、自分が司法試験に合格していたら、そう思えていたのか自信がありません。そのくらい、私は司法試験とその合格を前提にした人生のことだけを考えていました。
司法試験に落ちたあなたに知ってもらいたいこと
ここで私は、司法試験なんて合格しない方がよい、と言いたいのではありません。
また、司法試験に合格した人達を、世間知らずだと言いたいわけでもありません。
ただ、何度チャレンジしても司法試験に合格できず、もんもんとしている人がいるのなら、「司法試験に合格しないと、いい人生を送れないとまで思う必要はない」と伝えたいのです。
もちろん、司法試験に拘りをもって生きることもよいと思います。
ただ、私自身、何度か司法試験を受けて、でも合格できない時期は、意固地になっていました。
司法試験に合格しないと、「人生終わりだ」くらいに思っていました。
司法試験に合格できないと、自分が楽しいと思える仕事なんて一生できないと思っていました。
しかし、それは間違っていました。
司法試験に合格できなくても、何ら問題ありません。
いくらでも、自分が楽しく生きていける世界はあります。
逆に、司法試験に合格しても、本当に自分がやりたいことがその先にあると言えるのかはわからない、とすら思います。
少なくとも、司法試験に合格すれば、後の人生すべてOKなんてことには絶対になりません。
司法試験に合格後のあなたのライバルは、司法試験に合格しなかった人達ではありません。同じく司法試験に合格した人たちになります。
そんな中で、毎日のように他人の相談を聞いたり、毎日のように分厚い契約書を読んだり、毎日のように裁判所に向けた文書を書いたり・・・、そういう生活が続くわけです。
本当に、そういう仕事をしたいと思って司法試験を今も目指し続けていますか?
もしかしたら、司法試験に合格してどこかの法律事務所に入っても、どうにも、他人の相談や交通事故案件のために仕事をするのがつまらなくてしょうがないと感じるかもしれません。
もしかしたら、弁護士として働いても、「所詮他人事なんだよな・・・」と、退屈を感じるようになるかもしれません。
もしかしたら、司法試験になかなか合格できなかったあなたは、普通に会社に入れば、その実力を発揮して、色々なプロジェクトを成功に導くことができる力を持っているかもしれません。
もしかしたら、弁護士になれなかったことによって、世界を舞台にした、より大きな仕事を任されるようになるかもしれません。
試験に落ちたからといって
最後に、私が大学受験のために通っていた予備校のある講師が、浪人生活が始まって最初の講義で、そのときの受講生達に向けて送ってくれた言葉(詩?)をご紹介します。司法試験を意識して作られたものではありませんが、あらゆる試験全てに言えることだと思います。
試験に落ちたからといって
自分なんてもうダメだと、自分を蔑まないで欲しい
なぜなら試験に落ちたことは、単にその試験で点数を取るのがさほど得意ではなかった、というだけのことなのだから
試験に落ちたからといって
もう二度と努力なんてしない、なんて、投げやりな気持ちにならないで欲しい
なぜなら世の中には、一年や二年遅れても、その後大成功を収めた人たちが大勢いるのだから
試験に落ちたからといって
その試験に合格した人のことをねたんだり、ガリ勉ヤロウ!なんて言って、大勢で群れてバカにしたりしないで欲しい
なぜなら彼らだって、自分の夢をかなえるために、本当はしたくもない勉強をしようと必死になって机にかじりついたというだけのことなのだから
試験に落ちたからといって
自分はもう何も才能がないなんて決めつけないで欲しい
なぜなら君はまだ、本当に自分が何に向いているのか、本当は自分が何を好きなのか、まったくわかっていないのだから
試験に落ちたからといって
安易に将来をあきらめたりしないで欲しい
なぜなら君の人生は、まだまだ始まったばかりで、年をとった人たちからみたら、まぶしいくらいなのだから
試験に落ちたからといって
合格するまで絶対に同じ試験を受け続けてやる!なんて言って、その試験に固執し過ぎないで欲しい
なぜなら世界には、君が他の分野でその力を存分に発揮するのを心待ちにしてくれている人達が大勢いるはずだから
試験に落ちただけでは、人生は終わりません。終わってもくれません。
劣等感なんていつまでも持たずに、前向きに生きていきませんか?