江戸幕府の三大改革がうまくいかなかった理由~組織の問題点を考える~

   

江戸幕府は、なぜ滅びたのか。

その大きな要因は、江戸幕府の徴税権、つまり、税金を獲得する能力が、著しく制限的なものだったことによります。

 

江戸幕府は、参勤交代制のイメージが強いためか、一見、全国に約300あった藩は、徳川家に従属しており、各藩は、徳川家に対して税を納めていたと考えている人もいるかもしれません。

しかし、各藩にそのような義務はありませんでした。

徳川家は、「天領」と呼ばれる自分が支配する約400万石足らずの領地から年貢として米を徴収していたに過ぎません。

ちなみに、当時の日本の全石高は、3000万石です。

つまり、徳川家が如何に強大であろうとも、その徴税権は、全体のわずか8分の1に過ぎなかったのです。

 

江戸幕府は、その政治に必要となる金銭の多くを、上記の天領から徴収した米を市場で売りさばくことによって得ていました。

そして、徳川家につかえる旗本たちも、徳川家から支給される米を、これまた市場で売りさばくことによって金銭を得ていました。

そして、この金銭で、生活必需品などを買っていたのです。

 

ここで、江戸時代においては、せっせと水田の開墾を行ったことで、米の生産能力が増えていきました。

一般に、物が増えれば、その物の値段は下がります。

よって、江戸時代では、傾向として、米の値段が下がっていったわけです。

つまり、江戸幕府が米を売って得られる金銭も、旗本が得られる金銭も、どんどん減っていったことを意味します。

 

一方で、江戸時代は、米以外の物の生産が増えました。

おそらく、戦乱がないので、庶民の経済活動が活発になり、それによって様々な物が全国に流通するようになったのでしょう。

これにより、庶民の生活は豊かになりました。

その結果、米の値段は下がる一方で、米以外の物を買うために必要となる金額が増えたのです。

こうなると、徳川家も旗本も次第に貧しくなっていきました。

なぜなら、米を市場で売りさばいて得られる金銭は減っていったのに、その金銭で買わなければならない物は増えていったからです。

 

上記の様な状態が現出している中で、それでも江戸幕府が金欠にならないようにするためには、どのような方法が考えられるでしょうか。

 

まず、わずか400万石という限られた領地からしか税を得られないから、幕府と旗本は貧しいわけです。

であれば、①幕府が税を徴収できる範囲を全国に広げるべきでしょう。

次に、様々な物を買うために必要となる貨幣を得る手段が「価値が低い米」だから、それを貨幣に変えたときに損をするわけです。

よって、②徴収する税を米ではなく貨幣とすれば、この状態は大分改善されたはずでしょう。

 

では、幕府は、この2点に着手したのでしょうか?

していません。

ずっと徴税範囲は天領からの400万石のみ。

そして徴税するのは米が中心。

 

もちろん、江戸時代には、3大改革と呼ばれるものがあります。

徳川吉宗による享保の改革、松平定信による寛政の改革、そして水野忠邦による天保の改革。

しかし、どれもこの根本問題に着手することはありませんでした。

いや、正確にはできなかったのでしょう。

 

徳川家が、日本全国から税を徴収しようと思ったら、それは、関ケ原の戦いを再度やり直し、全国でおとなしく従っている300諸藩をみな平らげ、「今日からは、税金を徳川家に納めよ」と命じる必要があったでしょう。

この点、徳川家に起きていた金欠問題は、当然、同じく米を年貢として徴収している各藩も同じでしたから、基本的には貧乏でした。

そんな諸藩に、徳川家にも税金納めろ、といったら、大きな不満が生まれたでしょう。

下手したら、全国諸藩が協力して、徳川家に楯突き、最後には、徳川家は滅ぼされたかもしれません。

もしもこのように300諸藩を江戸幕府に従属させる機会があったとすれば、それは戦国の覇者である徳川家康が存命している時期か、または、せいぜい三代将軍家光の時くらいの徳川家全盛時代だけだったかもしれません。

 

こうして、貧乏な幕府は、幕末に藩政改革を行いながらせっせと資金を貯め、さらに、幕府に隠れて外国と貿易をして武器やら船やらを購入して軍備を蓄えた薩摩・長州を中心とする勢力によって倒されます。

幕府はあまりにお金がないので、フランスから資金を借りようとするほどでしたが、それもうまく行きませんでした。

 

結局、日本が全国から税金として貨幣を徴収するようになるのは、明治に入ってからです。

版籍奉還によって、土地も人民も天皇の下にあることを明確にし、その上で廃藩置県として藩を廃止して中央集権制とし、さらに地租改正によって米の徴収から貨幣の徴収へと変えていきました。

そして、産業を興しながら全国から徴収する税金をせっせと貯め、欧米諸国に対抗できる国を目指して軍備を整えました。その結果が、日清戦争・日露戦争の勝利へと繋がっていきます。

 

会社で何か解決すべき問題があったとき、目に見えている表面的な問題をどんなに消しても、根本的な問題を解決しないと、事態は改善しません。

江戸幕府は、5代将軍徳川綱吉以降、様々な改革を実施しました。

名前が付いている改革以外にも、もちろん改善に取り組んでいるわけです。

しかし、そのどれも、そもそもの問題である、「全国から税金を集めることができない」という点を改めようとはしませんでした。

問題点に気が付いていた人も当然いたのでしょうが、それでも手を付けられなかったのは、これらは江戸時代における「聖域」だったのでしょう。

 

あなたの会社の中には、なんとかしないといけないとわかっているのに触れられない、「聖域」はありませんか?それを放置していると・・・

 - 歴史上の人物・出来事から学んだこと