新入社員は誰もが「世間知らず」~振舞い方を注意されることはありがたいこと~
ある1人の少年が、早くに父親を亡くしたため、武家であるにも関わらず、寺に入れられて出家していたところ、たまたま徳川家康に評価され、その小姓に取り立てられました。
通常、家康の小姓になるのは、そう簡単ではありません。
しかも、それまで家康と何ら繋がりのなかったにも関わらず小姓になったということは、家康から見て、余程見込みがあると思われたからでしょう。
この少年の前途はこのとき開けた、と家康の多くの家来たちは思いました。
もしかすると、妬む者もいたかもしれません。
その少年が戦場に出たときのことです。
少年は家康の家来たちと一緒にご飯を食べていた時、こう言いました。
「この飯は、私には少し味が薄いようです。醤油はありませんか?」
これを聞いた家康の家臣たちは口々に罵り始めました。
「ばか野郎!戦場にそんな気の利いたものあるわけねえだろうが!」
さらに、こう付け加えられました。
「こんな飯でもまだいい方で、これすら食えずにいる奴らも大勢いるのに、お前はなに贅沢言ってんだ!?」
こういわれて少年は、体中が熱くなり、絶句して自分の茶碗を黙って見つめる以外にしようがありませんでした。
もしかすると、恥ずかしさのあまり、目には涙が溜まっていたかもしれません・・・。
私には、会社に入った当時、今から振り返れば、あまり好ましくない癖のようなものがありました。
しかし、私は、そのおかしな行動をある時から全くしなくなりました。
その理由は、先輩から注意されたからです。
注意されるまで、私はそれが悪いことだとか、周りから見たときにどういう印象を持たれるかなど、考えたことがありませんでした。
注意されて初めて気が付けたのです。それは私が中学生くらいのときから、10年以上続けていたことでしたが、それについてそれまで誰からも注意を受けたことはありませんでした。
だから、あのとき先輩に注意されていなければ、おそらく、今でもその行動を続けていたと思います。
注意された瞬間、私は凄く恥ずかしい気持ちになりました。
と同時に、正直、イラッとしました。
そんな言い方しなくていいのではないか?とも思いました。
しかし、残念ながら、その先輩の指摘は、100%正しかったと今では思えるのです。
そして、言い方は確かにきつかったし、今の自分が、かつての自分と同じ行動をとっている後輩に注意するときは、もっと違う形で指摘しようとは思うものの、それでも、あのとき、しっかりと注意してもらえてよかったと感じています。
これは特に、自分が後輩を持つようになるにつれて強く思うようになりました。
というのも、後輩に対して注意すること、特に、仕事そのものではなく、いわゆる礼儀というか、振舞い方というか、そういうものについて注意をするのには、少し勇気がいるなと感じるからです。
礼儀や振舞い方への注意は、仕事そのものへの注意と異なり、後輩から、「面倒くさい」とか、「そんなの仕事と関係ないだろう」と思われがちです。
そのため、注意したときに、後輩からどう思われるのだろうか、と考えてしまう自分がいました。
私から受けた注意について、飲み屋などで同期や友人に愚痴っているのではないか?などと思ってしまうのです。
実際、最近はこう考える人も多いようです。
「逆恨みされるのも嫌だから、自分で気が付け!って思って、何も注意しない。気が付かないなら、そのまま行けば?って感じ」
しかし、実は、仕事そのものよりも、この「振る舞い方」の方が大事だったりします。
振舞い方が不適切だと、一緒に仕事をする相手を不快にさせます。
その結果、「仕事はできるんだけど、一緒にはやりたくない」と思われることになり、結果的に仕事がうまく進まない原因となり得ます。
また、こんな話もあります。
私の友人がある企業の面接を受けた時のことです。
最初に面接室にその友人が入り、少ししてから面接官がその部屋に入ってきたそうです。
その時、その友人はすかさず立ち、「よろしくお願いします」と言いながらお辞儀をしたそうです。
その友人は結局その企業から内定をもらい、働き始めました。
そして、ある時、その時の面接官に、自分を採用してくれた理由を聞いたそうです。
その中の理由の1つが、「面接官が部屋に入ってきたときに、すかさず立って挨拶をしたこと」だったそうです。
その面接官だった人は、友人にこう言ったそうです。
「あのような場面でああいった行動(つまり立ってお辞儀をすること)をとらなければならない、ということをいちいち教えないといけないような人は採用したくないんだよね。一通りのマナーを身につけてない人とは一緒に仕事をしたくないんだよ」
振舞い方について注意されるのが嫌なのは、とてもよくわかります。
特に、その注意された内容が正しいものであるほど、恥ずかしくなってしまいます。
しかし、会社に入ったばかりの頃は、まだ学生時代と社会人の差がわからず、誰もが程度の差はあれ「世間知らず」なのです。
ベテラン社員からみれば、冷や冷やするような言動があることも珍しくありません。
そして、私が本当に気の毒だと感じるのは、本来なら早いうちに直さなければならなかった振舞い方を、若いうちに注意されなかったがために自分で気が付つくことができず、その結果、直さずにきてしまった人を見たときです。
それなりの年齢になってしまった人を相手にしては、もう誰も注意することなどできません。
その人は、これからもずっとそうして生きていくことになるでしょう。
その意味で、注意してくれる人は、ありがたい存在です。
それがどのような意図をもってなされた注意だったとしても、そうです。
一方、注意する側も、「言い方」や「注意する場所」などに少し気を配ってあげると、若手も注意されたことをずっと素直に受け入れやすくなり、お互いに良好な関係を築くことができると思います。
冒頭で紹介した、大勢から罵られた少年は、その時初めて自分が世間知らずであったことに気が付きました。
彼は、まだ10代の若かりし井伊直政です。
もしかすると、口汚く罵った者たちは、前途洋々の直政に対して妬みの気持ちを持っていたのかもしれません。
しかし彼はその後、自らを厳しく律するようになり、成長してからは戦場でも外交でも活躍します。
そして最後には「徳川三傑」の一人と呼ばれるまでに出世し、その後井伊家は代々徳川家譜代大名の筆頭として幕政の中心の位置を占め続けます。
若いうちに、しっかりと注意され尽くしましょう!