自分の勝因は、相手の敗因にある~日露戦争におけるロシアの敗因~
2022/05/22
「私が頑張ったのよ」「俺が工夫したからだ」
人は、自分が勝ったとき、つい、自分の力だと思ってしまいます。
確かに、そうだったのかもしれません。
あなたの戦い方は見事でした。
誰にでもできることではありませんでした。
しかし、相手には、こちらが付け入ることができるスキを見せたという落ち度はなかったでしょうか?
プロ野球の世界で、度々チームを日本一に導いたことがある名監督はこう述べています。
「偶然勝つことはあるが、偶然負けることはない」
これはどういう意味でしょうか?
偶然勝つことがあるのは、相手に落ち度があるからでしょう。
そして、偶然負けることがないということは、単に相手が強いというだけでこちらが敗けることはなく、かならずこちらに落ち度がある、ということです。
つまり、「相手に落ち度がない限り、こちらが最善を尽くしても、勝ちに至らない」ということです。
1つの思考実験をしてみましょう。
ある戦いがあったとして、敵味方が、お互いに最善手を繰り出し続けたら、その勝敗は一体どうなるのでしょうか?
お互いに何ら落ち度がなく、常に相手の妙手を事前に潰し、スキを見せなかったらどうなるのか?
おそらく、勝負はつかないでしょう。
その結果、最後は運で勝負がつきます。
スポーツの世界でも、受験の世界でも、どうしても勝敗がつかない場合には、最後は「くじ」になります。
そうです。
お互いに落ち度がない場合、最後は「運」になるのです。
勝負事とは、そういうものです。
日露戦争における日本海海戦は、日本の圧倒的勝利でした。
それはもちろん、日本が様々な工夫をこらした結果です。
しかし、その一方で、ロシアは次のような状況でした。
まず、ロシアのバルチック艦隊は、ドーバー海峡からスペイン沖に出て、アフリカ西部を航行し、喜望峰を超えてインド洋を経て、ようやく日本海に現れます。
航行距離は、実に地球の三分の二周分にもなります。
この時代まで、これほどまでの長距離を航海した艦隊は他にありませんでした。
これだけで一代プロジェクトとして歴史に記録されてもよいほどの偉業ですが、それはつまり、乗組員にとっては相当つらい船旅となったであろうことは想像に難くありません。
しかも、この時代には原子力潜水艦などありませんから、船の燃料は石炭です。
右に示したような異常な長距離分の石炭を全て船に乗せて進むことはできませんから、ロシアは燃料を日本海までの途中途中の港に積んでおき、それを都度船に積み込みながら進んでいくという方法をとりました。
しかし、中立国に石炭を積んでいたため、中立国の港に停泊して石炭を積み込むことを拒否されます。
そのため、石炭補給に手間取りながらの航海となりました。
更に、旅順が日本によって攻略されてから、ロシアの皇帝ニコライ二世は、第三太平洋艦隊を編成し、それをバルチック艦隊に合流させようとしました。
そのため、先行するバルチック艦隊に対して第三太平洋艦隊が追いつくまで待つように命令します。
このため、バルチック艦隊はうだるような暑さの熱帯地方で待機することになりました。
しかも、この第三太平洋艦隊は、数はあるものの、航行速度が遅く、実際の戦闘では迅速な艦隊運動をする際に邪魔になることが予想されるものでした。
つまり、戦力にならず、むしろ無い方がロシアにとってはよいと思える艦隊だったのです。
その上、司令長官ロジェスト・ベンスキーは長旅のせいか、病に倒れます。
このような様々な事象のために、バルチック艦隊の航海は遅れに遅れ、その間、日本の連合艦隊は十分な休息と、訓練と、そして対策を練ることができました。
こうして散々な長旅の末にようやく辿り着いた対馬沖で開始された日本海海戦では、ロシア側はその戦艦数の優勢さを活かすことができず、東郷平八郎率いる日本の連合艦隊の迅速かつ統制のとれた動きに翻弄され、戦闘開始わずか三十分の間に旗艦も含め、先頭に位置していた戦艦が次々と大打撃を受けて戦線を離脱することになりました。
一方、日露戦争では、日本は戦費の調達に大分苦労しましたが、英国が支援してくれました。
また、世界情勢に関する良質な情報提供も英国から受けることができましたし、ロシアに圧倒的に劣っていた戦艦・巡洋艦などの入手においても、英国の支援によって埋めることができました。
さらには、米国の支援なければ、ポーツマス条約の締結もなかったでしょう。
日本だけでは、どう頑張ってもロシアには勝てなかったのは明らかです。
私は、日本海海戦の日本の勝利を価値のないものと貶めたいのではありません。
ただ、自分が何か成功を収めたときに、「それは全て自分の力だ」と思う心を抑えるようにしたいのです。
確かに自分は頑張ったが、しかし、それでも、この勝利は、相手の落ち度や、誰かの助けや、さらには運が味方した結果であり、一歩間違えば、負けていたとは言えないだろうか?と考え、油断せずに、傲慢にならずに、「勝つべくして勝つ」方法を更に模索したいのです。
平氏との戦いでそれまでの定石にとらわれない画期的な戦術を駆使して連戦連勝した若き英雄・源義経は、壇ノ浦で平氏を滅ぼした時、こう思ったことでしょう。
「俺は天才だ!」「俺こそが平氏を倒したのだ!!」
若い彼がそう有頂天になったとしても、それは誰も責めることができません。
そして確かに、彼がいなければ、どうなっていたかわかりません。
少なくとも、あのような鮮やかな源氏の勝利はなかったでしょう。
それほど源平合戦時の彼は輝いていました。
しかし、彼が兄である頼朝に疎まれ始めてからは、全く精彩を欠きます。
頼朝とは戦いにすらなりません。
というのも、そもそも戦えるだけの兵が彼の下に集まらないのです。
彼はわずかに付き従った家来を連れて変装しながら全国をみじめに逃避行していたどこかのある時点で、おそらく気付いたことでしょう。
「ああ、俺がこれまで勝てたのは、俺だけの力によるものではなかったのだな・・・」と。
日本海海戦でもっとも合理的な頭脳を持って対応し、類まれな戦術を編み出した秋山真之ですら、この戦争の勝利について、「天運だ」と述べています。
そして、合理主義の塊のような彼が、この戦いの後、意外にも、精神世界の方に入っていきます。
連合艦隊「解体」の式辞の中では、「勝って兜の緒を締めよ」と述べています。
あなたや、あなたが属する組織がこれまでに得てきた数々の栄光と勝利。
改めて、その勝因は一体、何だったでしょうか?