成果を出せば、認めてもらえるのか?~大坂の陣における真田幸村の敗因~

   

「お前はわしより優秀だ。しかし、それでもお前が述べる戦術を採用してもらうことはできないだろう。なぜなら、お前は世間から認められるような実績がないからだ。」

真田昌幸・信繁親子は、関ケ原の戦いが始まる直前に西軍である石田三成に味方することを決意しましたが、結局石田方が徳川家康率いる東軍に敗北したため、命だけは何とか助けられたものの、九度山に幽閉されてしまいました。

そのうち家康から許されて故郷に戻れる日がくると信じていましたが、2度も家康を破ったことがあるこの強敵を、家康は決して許しはしませんでした。

一方で、大坂城にいる豊臣秀頼が成長するにつれて、大阪方と家康の戦いが起こるのではないかという空気が全国に満ちていました。

もしもその戦いが現実化すれば、真田親子は躊躇なく大坂側に味方し、今度こそ家康を破ってやると思っていました。

・・・が、その前に、真田昌幸の寿命は尽きました。彼が死ぬ前に、信繁が昌幸に、家康との戦いに備えてその戦術を聞いたとき、昌幸は冒頭のような発言をしたというのです。

 

信繁は、大坂の陣が始まるまで、歴史の表舞台には出てこず、世間からは知られた存在ではなく、2度の徳川との戦いでも、その勝利の功は父昌幸に帰せられていました。

信繁が大坂の陣の際に大坂方に味方し、次々と価値ある献策を試みますが、どれも却下に次ぐ却下・・・。

そして大坂方は敗北し、秀頼も、その生母淀殿も、信繁も、命を落とします。

 

しかし、昌幸が冒頭のようなことを繁信に言い残したというのは、後世のフィクションのようです。

優良な信頼できる史料には記載がないというのがその理由です。

とはいえ、この昌幸のセリフは、相当な説得力をもって私達に迫ってくるものがあります。

それはなぜでしょうか?

きっとそれは、この言葉が、私達が属する組織の中に厳然と存在する真理を確かに捉えているからでしょう。

「実績がなければ、または、仮に実績があっても、それが知られていなければ、価値ある提案をしても到底受け入れてもらえない」

このことが本当なら、私達が事前にしておくべきは、「実績をあげ、そしてそれを知ってもらうこと」でしょう。

 

この点、実績を出せば、自然と周りから認められるはず、いや、認められるべきだ、と考える向きもあるかもしれません。

しかし、残念ながら、そう簡単ではありません。成果を出したことを知ってもらう必要があるのです。

 

私には、こんな経験があります。

企業法務として入社して2年目に、ある国でのJV案件で先輩の下について関わったときのことです。

それは数年に渡るプロジェクトでした。

その案件が終わりに差し掛かったころ、先輩にこういわれました。

「このプロジェクトの中で学んだことをまとめて部内で発表するように」

私は正直、面倒だなと思いました。

数年間に渡って行われた案件をまとめるなど、それこそ大仕事だと感じたからです。

しかし、先輩からの命令なので承諾しました。

そして、やるからには、しっかりとしたものにしようと思いました。

その国の会社法の特徴、対内投資の条件や注意事項、現地土地取得に関して生じた問題点、そして銀行からの融資契約における争点など、今度同種のプロジェクトを行う人がその資料を参考にすれば、先輩と私が遭遇した苦労の大部分をあっさりと乗り越えて行ける、そんな資料にしようと思って取り組みました。

そうして完成した資料に基づいて社内で発表した結果は、とても意外なものでした。

それは、「●国なら、本郷さん」と認識されるようになったのです。

そして、次に再び●国の仕事が立ち上がった際には、私が担当することになりました。

 

私は●国の案件にもともと真剣に取り組んでいました。

しかし、自分がどのように取り組んでいるのかについて、周囲に積極的に発信したことはそれまでありませんでした。

そして、資料の作成時も発表するときも、何か特別な効果を狙っていたわけではありませんでした。

しかし、案件自体に全力を尽くしていたときには得られなかった評価を、発表後に初めて得たのです。

この経験から、私は1つのことを学びました。

それは、「自ら知られようとすることも大事だな」ということです。

いや、正確にいえば、「知られようとしない限り、せっかく出した成果すら、知られずに終わることもある」ということでした。

 

真田信繁は、父昌幸と行動を共にしていたときも、おそらく何らかの活躍をしていたはずです。

しかし、父昌幸の陰にあったため、その実績は世間では知られていませんでした。

大坂の冬と夏の陣という短い期間を通して、確実に実績を積み重ねていきましたが、残念ながら夏の陣で命を落としました。

もう少し時間があれば、彼は名将として敵味方から大いに認められ、味方からは彼のアイデアはことごとく採用される、そして敵からは大いに恐れられるというレベルになったことでしょう。

 

実績は、手遅れにならないように、若いころから、小さくても少しずつ積み重ねる、そして同時に、その点を周りに知ってもらえるようにする。

この2つがうまくかみ合わされば、実績は雪だるま式に増えていくことでしょう。

 

この点、自分のしたことを周りに発信するのは気が引ける、という人もいるかもしれません。

それは、発信の仕方を工夫することで回避できるでしょう。

つまり、自分が取り組んだ案件の難しかった点について、「こうすれば乗り越えられる」「この点に注意すべき」という形で発信するならば、それはただの自慢や嫌味なアピールではなく、組織に役立つ情報共有となります。

つまり、そのような形で発信することで、あなたは、成果を出したことに加え、同種の案件への対処方法を紹介することになり、二重の意味で組織へ貢献したことになるでしょう。

 - 20代・30代の仕事の仕方