組織が同じ過ちを繰り返さないためにすべきこと~第二次世界大戦~

   

小さな政党がありました。

 

その政党は、当初は、党章もなく、党旗もなく、党綱領もなく、広報活動もしていませんでした。党の財産は、約1万5000円程度。ただの貧乏集団でした。

 

ところが、わずか2~3年で、党員は56,000人に急増しました。その後その政党は、過激な活動のために党首が国家反逆罪として逮捕され、禁固5年の刑罰を受けますが、この危機をも脱します。その党首は、刑務所にいる時間を使い、それまでの前半生を本にまとめ、出所後に出版し、その総発行部数は1000万部に達しました。

 

その政党が議会に占めていた議席数は、当初わずか32議席でした。

その後、14議席、12議席と減らし、あわや壊滅寸前にまで陥りますが、その頃生じた社会不安に乗じて、議席数を107にまで伸ばします。

さらにその2年後、230議席にまで達し、遂に第一党に躍り出ました。これには党首も驚きだったことでしょう。

 

そしてさらにその政党は、議席数を288にまで増やし、全議席数の2/3を単独で取得し、どんな法律でも成立させる力を取得します(「全権委任法」という法律です)。

 

・・・こうして、「その政党」、つまり、「ナチスドイツ」は遂に一党独裁を成し遂げ、この後は第二次世界大戦へとまっしぐらに突っ込んでいきました。

 

私も、ヒトラーという名前を聞けば、欧州を恐怖のどん底に陥れた恐るべき独裁者であるというイメージを持っています。特にユダヤ人の大量虐殺は、数々の「事実に基づく物語」により、「すさまじい時代があったんだな・・・」と感じさせます。

 

しかし、ヒトラー一人であのようなことをできたのかというと、決してそうではなかったのです。

上記で見た通り、結党当初は、ナチスは文字通り、吹けば飛ぶような、みじめなほど小さな政党に過ぎませんでした。

それが選挙の度に、徐々に国会内で議席を増やしていったのです。

ドイツ国民は、選挙で「ナチス」にその1票を投じたのです。

これは、実に驚くべきことではないでしょうか。議席数30程度の政党が、数年で第一党に躍り出るなど、今の日本では、いいえ、他の国でも、到底考えられないことです。

 

となると、あのような大惨事を二度と引き起こさないためには、「ヒトラーの、否、ナチスドイツの台頭を許したのは何か?」を知ろうとすることが重要となることはご理解いただけると思います。

特定の個人であるヒトラーのみに第二次世界大戦の原因を負わせることは、今を生きる私たちにとって有益となる教訓を何ら導き出せずに終わるのです。

ヒトラーの場合には、次のように考えるべきでしょう。

 

どんなに雄弁かつ過激な性格をもった負のカリスマが現れたとしても、たかが1人のこのような者の出現によって一国があのような方向に突き進むに至ったのには、一体どんな背景があるのか?

 

この問いに答えられるようになって初めて、私達は、あのような惨禍が起こるのを将来避けることができる可能性を得たといえます。

ここではその詳細には触れませんが、簡単に述べると、当時のドイツは社会的、特に経済的に極めて不安定な状態でした。

ドイツは、第一次世界大戦における敗北により、とても返済できないような損害賠償金額を連合軍によって課されます。

ハイパーインフレに陥り、国民の生活はとても苦しい状態となりました。

このため、ドイツ国民は「どうすればよいのかはわからないが、今のままではダメだ」と感じたことでしょう。

そのことが、新興勢力であるナチスドイツの台頭を許したということはいえるでしょう。

 

企業が何か不祥事を起こすと、社長や経営トップが責任者として取り上げられることがあります。

特に、その経営トップが珍しい経歴を持っていたり、アグレッシブな経営姿勢を示していたりという場合には、その点が一層注目され、その人の入社当初からの経歴が暴かれ、「いかに普通と違う従業員であったか、いかに稀な経歴の持ち主だったか」という点が、不祥事を引き起こした原因として報じられることもあります。

そのうち、そのような報道をみたその企業の従業員も、その報道が正しいものと考え、「すべてはその経営トップのせいだ」と考えるようになります。

つまり、そのトップを会社から追放すれば、問題は解決すると考えてしまいかねません。

 

しかし、そのトップは、ある日突如としてトップに上り詰めたわけではありません。

多くの日本の企業は、年功序列です。どんなに成果をあげようが、社長はもちろん、突如事業部長や役員にもなることはないのです。主任→課長→部長→事業部長→執行役→上席執行役→専務→副社長と、気が遠くなるほどのいくつもの階段をのぼり、初めて社長に選ばれます。

つまり、その不祥事の原因であると思われている経営トップは、各段階における審査で様々な上司たちから優秀と認められ、将来会社に貢献できると評価されたということです。この点をどう捉えるべきでしょうか。

 

その上、そのトップに対して適用されてきた評価基準は、その企業の他の人たちにも等しく適用されているのです。

このことは、一体何を意味しているでしょう。

その企業の文化、体質、姿勢、こういった点に問題がある可能性があるとは言えないでしょうか。

このような点を無視し、一人の経営トップのせいとし、その者だけに責任を押し付け、糾弾し、辞めさせることで、果たして問題は解決されたことになるのでしょうか。

 

もちろん、不祥事の処罰は、まさにその不祥事を引き起こした者に対して課されなければなりません。

しかし、上記の様に考え、企業全体としての問題点を追及し、改善しようとしなければ、同種のことは、将来、二度、三度と起こり得るでしょう。

つまり、「処罰」と「本当の改善策」は、区別して扱われる必要があるのです。

これは、ある特異な犯罪が世の中で起こったとき、犯罪者を処罰するのはもちろん、「何が彼をそのような行為に走らせたのか」という視点で考えるのと同じです。

 

あなたの企業で起こった今回の不祥事。その原因は、誰か特定の人にのみあると考えられていませんか?誰かを処罰するだけで、「悪は滅びた」と捉えてしまってはいないでしょうか?それで本当に「問題は解決した」と安心してよいのでしょうか?

 - 歴史上の人物・出来事から学んだこと