あるべきリスク管理 の姿~日本史上、最もリスク管理が出来なかった人物達に学ぶ~
2020/06/19

「日本の歴史上、最もリスク管理ができていなかった人は誰か?」
こう聞かれたら、あなたは誰だと答えますか?
この答えは、人それぞれ異なるでしょう。
ちなみに私なら、こう答えます。
平清盛と清原武貞の二人です。
なぜ私がこの二人がそうだと思うのか?
今回は、この二人のリスク管理の不徹底っぷりを紹介しつつ、リスク管理のあるべき姿を考えてみたいと思います。
平清盛の場合
平清盛。
この名前はあまりにも有名です。
歴史がさほど好きではない人でも、学生時代にこう習ったことくらいは、かすかに記憶にあるのではないでしょうか?
武士として初めて太政大臣にまで上りつめた人。
そうです。
平清盛は、当時は公家たちから思いっきり蔑まされていた武士という身分にあったにも関わらず、自分の娘を天皇の后とし、その子供を天皇(安徳天皇)とすることで、天皇の祖父となり、一時期は、「平氏にあらずんば人にあらず」なんていう言葉が出るほどの勢力を誇りました。
平清盛がそれほどの勢力を誇るきっかけになったのは、1159年に起きた平治の乱で、同じく武士である源氏の棟梁の源義朝を破ったことでした。
当時、源義朝には、平治の乱に参加した息子が3人いました。
源義平、源朝長、源頼朝です。
平治の乱で勝利した清盛は、当然、源義朝のこれら3人の息子たち全員の命を奪うはずでした。
実際、源義平は、六条河原に引き出されて処刑されましたし、源朝長は逃亡中に命を落としました。
残るは源頼朝です。
清盛は、頼朝の命も奪おうと考えていました。
しかしそんなとき、頼朝の助命を嘆願する者が現れました。
それは、平清盛の義理の母である池の禅尼でした。
なぜ、清盛の義母がわざわざ頼朝の命を救うようにお願いしたのでしょう?
それは、「池の禅尼の死んだ子供が、頼朝によく似ていたから」だったと言われています。
頼朝を一目見た池の禅尼は、「生きうつしか!?」と思うほど似ていたそうです。
そして、急に頼朝が哀れに思えてきて、清盛に必死に助命を願います。
清盛も、最初は難色を示しました。生かしておけば、後日、必ず平家に復讐を誓うはずで、そうなると、わざわざ厄介な事態を自ら招くようなものです。
しかし、何度も義母である池の禅尼にお願いされ、遂には、頼朝を伊豆に流すことで済ませる、つまり、命までは取らないことにしました。
清盛も、もしかすると、当時13歳だった頼朝を見て、伊豆に一人流しておけば、そこまで大きな問題にはならない、と考えたのかもしれません。
しかし、問題はこれだけでは終わりませんでした。
その後、源義朝の妾である常盤御前が、3人の幼子を連れて平氏の館に現れました。常盤御前は、3人の子供の助命を嘆願します。
このとき清盛が実際にどう思ったのかはわかりません。
一節では、常盤御前があまりに美しかったため、その願いを聞き入れたという話もあります(実際、その後、平清盛と常盤御前の間には、子供が産まれています)。
ここで重要になるのが、「清盛は、既に一度、敵の子供の命を奪わないという前例を作ってしまっていること」です。
そう。義母の嘆願を聞き入れて、頼朝を生かすことに決めているのです。
しかも、源頼朝は、源氏の棟梁であった源義朝の後継者とされていました。
その頼朝を生かすことにしたのに、頼朝の義理の弟達の命を奪うというのは、筋が通らない、そんな風に清盛も思ったことでしょう。
結局、清盛は、常盤御前が連れてきた3人の男子の命を取らないことにしました。
そしてこの3人の男子の一番末っ子(当時はまだ乳飲み子だったそうです)が、牛若丸といい、後の源義経です。
その後、源頼朝は伊豆に流されてから20年後の1180年に平氏打倒のために挙兵します。
そしてその挙兵に応じて頼朝の下に駆けつけた源義経は、1185年に壇ノ浦で平氏を滅ぼします。
大分昔のことなので、明らかにされていないことは色々あると思いますが、ただ一つ、私が自信を持っているのは、壇ノ浦で平氏が滅びる際、清盛の子供たちが思ったのは、「どーして親父は、頼朝と義経の命をあのとき救ったのか!」ということだったはず、ということです。
平治の乱が終わり、頼朝と牛若丸(のちの義経)の命を奪うことは、清盛にとって、赤子の手をひねるよりもはるかに簡単なことでした。
単に、家来に一言、「首をはねよ」とだけ言えば済む話でした。
しかし、清盛は頼朝を助け、さらには、日本史上稀にみる戦の天才、義経を助けてしまいました。
現代の私たちが聞いても、「清盛、甘すぎじゃない?」と思えるのではないでしょうか。
ところで、こんな清盛のようなことをした人、つまり、敵の子供の命を助けたがために、その後その子孫らが大いに迷惑した話が、他にもあるのです。
しかもそれは、平清盛が頼朝と義経の命を助けるよりも約100年前に起きたことです。
それをしたのが、清原武貞という人物です。
清衡武貞の場合
清原氏は、出羽国(今の秋田県と山形県の辺り)を治めていた豪族でした。
その出羽国に隣接している陸奥国(今の岩手県と宮城県の辺り)を安部氏というこれまた豪族が治めていました。
この安部氏が治めていた陸奥国で、前九年の役、という戦いが起きます(なんとなく聞いたことがありますよね?)。
これは、朝廷から陸奥国を監視するように言われていた源頼時とその息子である源義家(八幡太郎義家という名で知られています。頼朝や義経の祖先です)らと、この安部氏の間の戦いです。
つまり、朝廷側として戦ったのが源氏で、朝敵とされたのが安部氏です。
この安部氏に、藤原経清という者が味方として加わり、一時は、安部氏が源氏を追い詰めました。
しかし、追い詰められた源氏は、陸奥国に隣接する出羽国の豪族、清原氏を巧みに抱き込み、一緒に戦わせます。
すると、形勢は一気に逆転し、清原・源氏チームが勝利しました。
安部氏のリーダーである安部宗任は殺され、安部氏に味方した藤原経清も命を奪われます。
特にこの藤原経清は、源頼時の怒りを買い、生きたまま、さびた刀で首をゆっくりと切られるという残酷な殺され方をします。
この藤原経清には、妻と一人の息子がいました。
その息子の名は、清丸といいました。
なんと、この前九年の役の戦いのあと、安部氏を滅ぼした清衡武貞は、藤原経清の妻と結婚し、その代わりだったかどうかはわかりませんが、その清丸の命を取らず、その後も育て続けたのです。
その後、様々な紆余曲折の後、そのとき命を取られなかった清丸は、清原氏を滅ぼすに至ります。
清原氏を滅ぼしたその息子は、世界遺産として有名な中尊寺金色堂などで有名な奥州藤原氏三代の初代、藤原清衡です(途中で名前を清丸から清衡に変えました)。
おそらく、清原氏にしてみれば、「どーして、武貞は、敵の息子である清衡の命をあの時(前九年の役)に奪っておかなかったのか!」と思ったことでしょう。
あるべきリスク管理の姿
平清盛と清衡武貞の共通点は、「本来摘んでおくべきリスクの芽を摘まずに済ませてしまった」という点でしょう。
そして、清盛の場合も武貞の場合も、そのリスクが大きくなり、現実化したときには、幸せなことに、既にこの世にいませんでした。
結局、彼らが見逃したリスクの芽が成長した結果、多大な迷惑を被ったのは、彼らの子孫・一族たちでした。
リスクの芽は、確かに最初は小さいです。
それが大きくなり、本当に問題になるには、長い時間と様々な諸条件の重なりが必要です。
そのため、リスクの芽に過ぎない段階では、まさか将来、そんな大問題に発展するなんてなかなか思えない、ということもあるかもしれません。
しかし、リスクが大きくなり、現実化した際には対応するのが極めて難しいことも、小さい芽のうちなら、簡単に摘めるのです。
今日、あなたが気づいていながら見逃した小さなリスクの芽は、やがて大きくなり、あなたが会社を退職した後で、大きなリスクに育ち、やがて、大勢の後輩社員たちにとって、とても手の付けられないほど大きな問題となって現実化してしまうかもしれません。
リスクは、小さいうちに、あっさりと摘む!
赤子の手をひねるように簡単に摘む!
これが、あるべきリスク管理だと思います。
改めて振り返って、あなたの会社には、今、リスクの芽はありませんか?
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