人の目や評価が気になる場合の対処法
2023/07/12

何をやるにしても、やたらと周囲の目や評価が気になる。
そんな人は割といるのではないでしょうか。
そのため、
「本当はこうしたいんだけど・・・」
と思っていることができなかったり、新しいことにチャレンジできないでいたりすることはありませんか?
今回は、「人の目や周囲の評価なんて気にしてもしょうがない」と思えるお話をご紹介したいと思います。
かつては「神」として扱われていたのに、「狸じじい」と罵られることになった人
戦国時代に完全な終焉を迎えさえ、そればかりかその後約260年間という長期間、戦争のない平和な世の中の基礎を築いた人がいました。
皆さんご存知の「徳川家康」です。
彼は江戸時代、「神君家康公」として称えられていました。
「神君」、つまり、「神」です。神様です。
しかし、幕末に江戸幕府が倒れ、明治政府が出来てからは、その風貌と、戦国時代に常に抜かりなく、抜け目なく戦略を立て続け、遂には天下を手に入れたその手法から、「狸じじい」と呼ばれるようになります。
おそらく、明治政府としては、江戸時代が如何に愚かで、何の進歩もない時代であったのかと国民に思わせ、逆に「明治政府こそ素晴らしい政府である!」と思わせることで支持を維持しようとし、意図的に家康を貶めるようにしたのかもしれません。
さらに時代は過ぎ、日本と米国が戦争になり、その戦争で日本が敗けると、今度は、その戦争、つまり太平洋戦争に至った遠因は、家康の開いた徳川幕府、特にその鎖国政策にある、という人まで出てきました。
鎖国をしたことで国際社会から日本が遅れ、明治時代以降に、必死で日本がその遅れを取り戻さなくてはいけない状況に追い込まれた。その結果、周りまわって太平洋戦争に至った、というのです。
一方、家康の前の政権、つまり豊臣政権であれば、鎖国はしなかったはずで、その場合、太平洋戦争は起きなかっただろう、という話も私は聞いたことがあります。
・・・家康って、本当にそこまで悪い人でしょうか???
武家の裏切り者と言われていたのに、やがて日本一の忠臣として銅像になった人
源頼朝が鎌倉に日本で初めての武家政権として樹立した鎌倉幕府。
源氏の血筋は早々に途絶えましたが、その後、北条氏が執権政治によって鎌倉幕府を維持しました。
その鎌倉幕府はモンゴル帝国からによる攻撃も見事に撃退したものの、その後、後醍醐天皇がかつての天皇中心の政治を取り戻そうとし、当時鎌倉幕府の御家人ではなかった悪党を率いる楠木正成らの力により、鎌倉幕府は滅ぼされました。
その後、後醍醐天皇による政治が始まりましたが、武士をないがしろにする政治であったため、足利尊氏を中心とした武家の勢力が再度乱を起こしました。
このとき、楠木正成は足利尊氏に対抗し、後醍醐天皇の味方をしました。これによって一度は尊氏を撃退し、九州にまで退けさせました。
しかしその後、再起を果たした尊氏に敗れた正成は、「武家に対抗し、後醍醐天皇を支持した者」、つまり、武家から見たら「裏切り者」と考えられていました。
しかし、そこから500年以上後になり、武家政権が終わり、明治時代に入ると、楠木正成は尊王の志の高かった人物、尊王の鏡、日本一の忠臣としてあがめられるようになります。
「大楠公(だいなんこう)」なんてゆう尊称で呼ばれるようにもなりました。日本一の忠臣です。
そのため、楠木正成は、皇居の近くに立派なその銅像が建てられています。
・・・きっと、楠木正成自身もびっくりでしょうね。
国を救った英雄から一夜にして国賊になった人
1891年5月11日、帝政ロシアの次期皇帝、ニコライ皇太子が、日本を巡遊中に、大津で警備をしていた巡査「津田三蔵」によってサーベルで突如切り付けられるという事件が起きました。日露戦争が始まる13年前の事件でした。
このとき、ニコライ皇太子にとどめを刺そうとしていた三蔵を必死になって取り押さえた人達がいます。
向畑治三郎と北賀市太郎の二人です。
当時の日本はロシアと戦争をできるような国力は全くありませんでした。
幸いニコライ皇太子は命に別状がなかったものの、日本を巡遊中に、しかも日本の警察の巡査がそのような事件を起こしたということで、日本は、もしかしてロシアとの戦争に発展してしまわないかと怯えました。
明治天皇は急ぎ東京から現地に向かい、ニコライ皇太子に謝罪に行きました。
結局、これ事件が原因でロシアとの戦争には至らずに済みましたが、この事件の瞬間、まさに「国難」と言ってもよい状態に日本は陥っていたと言えるでしょう。
というのも、もしもニコライ皇太子が命を落とすということになっていたら、おそらくロシアとの戦争が行われ、当然そのころはまだ海軍も陸軍も大して整備されていなかった日本はあっさりと敗れ、どこかの領土を取られていたかもしれません。
その意味で、犯人である三蔵を取り押さえた向畑と北賀市のお陰と言えるでしょう。
彼らはロシアからは生涯年金(ものすごい莫大な金額)を与えられ、日本政府からも多額の報奨を与えられました。
正に彼らは国を救った英雄でした。
しかし、1904年に日露戦争が勃発すると、状況は一変しました。
ロシアからの年金は送られてこなくなりました。
周囲の者たちの北賀を見る目は変わりました。
「敵国であるロシアの皇太子を助け、そこから年金を得ていた奴なんて、国賊だ!」という声が高まりました。
北賀市の家には人が押し掛け、石を投げつけられました。昼夜の区別なくそれは繰り返されました。家の壁には「国賊」という落書きがなされました。
その後、北賀市とその家族は村八分にされ、北賀市は家に籠ったまま過ごしました。
そして、54歳で亡くなりました。
まさかこんなことになるなんて、三蔵を取り押さえたときには、北賀市も思いもよらなかったことでしょう・・・。
人の評価とは何なのか?気にするに値するものなのか?
・・・いかがでしょう?
徳川家康
楠木正成
北賀市太郎
彼らが「正しいこと」だと思って行動したときには思いもよらない評価を後に受けることになりました。
特に、後世でマイナスの評価を受けることになった家康と北賀市は、本当に非難されるような人物でしょうか?
260年の平和をもたらした事実よりも、「風が吹けば桶屋が儲かる」的な思いっきり遠い因果関係を持ち出され、豊臣政権のままなら太平洋戦争は起きなかったのに・・・なんて言われなければならないような人物なのでしょうか?
北賀市が身を挺して三蔵を取り押さえなければ、ニコライ皇太子は殺されていて、その場合、現実よりも13年も早く日露戦争が起きていたら、日本は一体どうなっていたのでしょうか?(日本海海戦で活躍した戦艦三笠も当然その時はまだありません。戦略を担当した秋山真之も当時は参謀になんかなっていません)
こうしてみると、人の評価というものが、如何にあてにならないものであるかが感じられるのではないでしょうか。
家康も北賀市も、当時では間違いなく正しい立派なことをしたと言えるでしょう。
その後の時代の変化が、彼らを非難する余地を生むことになったかもしれませんが、彼らのその当時の功績は全く否定されるべきものではありません。
楠木正成も、武家政権を支持する人からしてみれば邪魔者以外の何者でもありませんが、天皇による政治こそがあるべき姿だと考える人からは、当時も英雄だったはずです。武家の裏切り者という評価も、日本一の忠臣という評価も、どちらもある種の立場からの見方に過ぎません。
結局、人は色々と言います。
周囲には、とにかく非難することに時間と労力を費やす人がいます。
でも彼らは、単に自分の今の立場から深く考えずに好き勝手言っているだけなのです。
そんなことを気にしていたら、何も行動できません。
その時、自分が正しいと思ったことをやり遂げればそれでよいのではないでしょうか?
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