坂本龍馬はなぜ、ばけたのか?
2017/02/14

坂本龍馬は、子供のころ、アホだった、と言われています。
そんな龍馬が、どうして幕末にあれだけの活躍をしたのか。
こういったテーマについてのテレビ番組や雑誌をみたことがあります。
私の中で最も印象に残っているのは、「成長して天才的な仕事を成し遂げる人物は、幼少の頃に、そのように見えることがある。龍馬はまさにそれだった」という説を打ち出し、その説の正しさを、科学的な観点から解明しようとしていたあるテレビ番組です。
その番組では、簡単にいうと、「龍馬は天才だった」というものでした。
もしかすると、そうだったのかもしれません。
ただ、この龍馬天才説は、どうやら、「薩長同盟を考えたのは龍馬だけ」「船中八策は龍馬が最初に考えた」「大政奉還も龍馬が自ら考えた」ということを前提に、「当時を生きていた誰もが考え付かないようなことを考えた龍馬」というとらえ方をしたうえでのことだったように思います。
でも、上記は誤りで、薩長同盟も、船中八策も、大政奉還も、龍馬オリジナルのアイデアではないのです。
剣術修行
私は、龍馬が剣術修行によって、徐々に自信をつけていったことが大きいのではないかと感じます。
実際、勉強ができなかっただろう龍馬ですが、剣術修行によって、その腕を磨きました。
勉強に関しては、塾の先生から、「私に教えることはできない」とさじを投げられた龍馬ですが、剣術が周りの人よりも上達していったことは、その分うれしかったのではないでしょうか。
うれしいから、もっともっとうまくなろうとして打ち込むうちに、遂には江戸で北辰一刀流の免許皆伝となります。
これは自信につながりそうですよね。
何か一つに秀でると、「他のことも、同じように努力すればできるようになるかも」と思えるのではないでしょうか。
1ページできれば次のページもできる
私が中学生の時、英語の先生が、クラスのみんなに言いました。
「とにかく、今はこのページだけ完璧に理解しようとしろ。それができたら、あとは同じことを次のページ、また次のページと繰り返すだけだ」
あるページを理解できれば、次のページも理解できる。
まさに龍馬は、これだったのではないでしょうか。
剣術をかなり上達させることに成功した龍馬は、「他のこともできるはず」と思ったのではないでしょうか。
龍馬は、外国の憲法や政治体制をよく学んだといわれています。
勉強嫌いの龍馬のままなら、「あ、俺、そういう難しいことのわかんないから、一切関わらない」と思うのが自然ですよね。
そうならなかったのは、「ちゃんと知ろうとして、考えようとすれば、なんでもわかるようになる、できるようになる(剣術と同じように)」と自分で思うことができたからなのではないでしょうか。つまり、自信を持つことができたのではないかと感じます。
もったいない
自分に自信を持つことは、そう簡単ではないかもしれません。
自分よりもできる人はいくらでも周りにいると思ってしまうからです。
でも、まずは思いっきり細分化した何かに集中して努力すれば、割とできるようになるものではないでしょうか。
それができたら、そのできた範囲を少しずつ広げていく。
そうすることで、徐々に自信がついていくように思います。
「龍馬は天才だったからあれだけのことができたんだ」
この一言で龍馬の一生を捉えてしまうのも、それはそれでありかもしれませんが、なんだかもったいないですよね。