72敗しても勝てた理由 72勝しても負けた理由

中国史上初の統一国家を築き上げた秦の始皇帝が死んだ後、中国は再び混乱の時代に突入しました。その混乱の末に400年に渡って続く漢王朝を成立させたのは、劉邦です。

 

劉邦は、もともとは小さな1地方の小役人に過ぎない者でした。仕事に一生懸命に励んでいたかというと、そうでもなかったようです。

本来なら、およそ天下の主になどなり得ない境遇にあった彼は、多くの優秀な人材から「支えてあげたい!」と思われる特殊な性格を持っており、これにより、始皇帝亡き後、たちまちのうちに秦に対する反乱軍のトップに押し上げられます。

 

しかし、彼はすんなりと中国統一に至ったわけではありません。

彼の前には、項羽という強敵が大きく、厳然と立ちはだかりました。劉邦は、項羽との度重なる戦いで常に劣勢に立たされます。この劉邦の劣勢を捉えて、「劉邦は72回も項羽に負けた」と言われることもあります。この72敗というのは、本当の数字ではありませんが、ただ、そのくらい劉邦は、勝利を掴むまでに苦労したということです。

始皇帝亡き後に起こった暴動の中、「「関中」に一番乗りした者を、関中の王とする」という約束になっており、一番乗りした劉邦でしたが、遅れてやってきた項羽はこれに不満を抱き、劉邦を殺そうとします。正面から戦っても勝ち目がないと考えた劉邦は、謝罪するために項羽の下に赴きます。これは「鴻門の会」と呼ばれています。

この場で項羽の優秀な部下は、謝罪する劉邦を殺そうとしますが、劉邦はその部下たちの機転により、なんとか生き延びます。

しかし、劉邦は当時未開の土地であった漢中の地に追いやられます。漢中は中国大陸の左側にあるので、これを指して「左遷」という言葉が生まれたといわれています。

 

その後劉邦は力を蓄えて項羽と対決します。しかし、彭城の戦いでは、兵の数では圧倒的に多数であったにも関わらず、項羽率いる楚の強兵にあっけなく敗北しました。このときの劉邦の振る舞いは有名です。

彼は馬車で逃げる途中、敵の追っ手に追いつかれるかもしれないというあまりの恐怖から、馬車のスピードを上げるために、一緒に乗っていた二人の子供を無理やりおろして逃げようとしました。結局この時は、部下である夏侯嬰が子供たちを馬車に再びのせますが、このようなやり取りをなんと3度も繰り返します。最終的には子供も一緒に逃げ延びますが、劉邦は相当追い詰められていたのでしょう。

このような度重なる敗北に度々めげもし、あきらめそうにもなりましたが、最後には、劉邦が垓下の戦いで遂に項羽を破ります。そして、漢王朝を打ち立てることに成功しました。

 

上記のエピソードから私がお伝えしたいこと。それは、本書の中で紹介した様々な教訓の中でももっともシンプルです。それは、「とにかく生き残ること」です。

 

「生きていれば、そのうち良いことがある」

と言えるのかどうかは私にはわかりません。「人の命は何よりも尊く、人ひとりの命の重さは地球全体よりも重い」という言葉もありますが、その命の所有者である自分が、自ら進んで命を絶つことまでは、この言葉では否定できないでしょう。

また、幕末の長州藩で活躍した高杉晋作は、人間の命の価値について、「差し引き3銭程度だ」とその得意の詩の中で述べています。人生の中では、楽しいことや嬉しいことがある一方で、逆につらいことや苦しいこともたくさんある。それらのプラスマイナスをすると、最終的には3銭程度しか残らない、というのです。

確かに、特に人生の絶頂期を迎えた後は、人はそれまでに得た様々なものを失っていく段階に入るのかもしれません。その過程を見続けるのは、必ずしも楽しいものではないかもしれません。この高杉の詩は、人生をとても悲観的に見ているようにも思えますが、確かにその一面はあると思えるほど、人生は些細な幸せを得るのも決して簡単ではありません。

 

私は、これまでの人生で、「もう、これ以上、何かを得るために頑張ることはしたくない」と思ったことが何度かあります。頑張って何の意味があるのか?いい加減、自分を鼓舞することに疲れた・・・という気持ちです。

しかし、そう思ってから、しばらくの間、寝ることと食べること以外何も頑張らない生活を続けていると、段々と疲れが取れて、また元気になり、やがて、気分が変わるのです。そして、また性懲りもなく、何かを頑張ろうと思える自分がいます。

 

そんなことが何度かあったため、今ではこう思うようになりました。

「今、仮に、『もう嫌だ。全てを投げ出したい!この気持ちは未来永劫変わらない!』と思ったとしても、未来の自分もそう思い続けているかどうかは、わからないのではないか」「ある程度時間が経ったら、『やっぱり生きたい』と思うようになるのではないか」「だから、気が変わり、また起き上がろうとする自分のために、何か奪われたとしても、寿命が尽きるまで、生きる算段は尽くすべきなのではないか。自分の人生を差し引き総決算した結果、3銭どころか、マイナスになっていたとしても」

 

劉邦との争いにおいて終始優勢を保ち続けていた項羽が遂に劣勢に陥ったとき、項羽は「江東に戻って捲土重来(敗戦のあと、ひとたびは去って勢力を回復して、再び攻め返すこと)を期すべし」と周囲から進められますが、こう言いました。

「ここで潔く自害しよう」

こうして項羽は、生きていればあり得る選択肢の全てを自ら断ち、天下を劉邦に差し出しました。

 

「全てが奪われるまで生き抜く」

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