大失敗する案件の特徴

大坂冬の陣・夏の陣。これは大坂城にいる豊臣秀頼率いる西軍と徳川家康率いる東軍との戦いでした。

東軍は総勢50万人であるのに対し、西軍は10万人程度。しかも西軍は関ケ原で敗れて領地を失った牢人たちによる寄せ集め集団です。どう考えても東軍が有利で、いくら大坂城が堅固で有名だとしても、東軍勝利は揺らがないように思えました。事実、勝利したのは家康率いる東軍で、秀頼はその母淀殿と共に自害する、ということで長い戦国の世はここに完全に終結しました。

・・・が、しかし、実際には東軍は攻めあぐねます。夏の陣では、真田信繁率いる赤備えの軍団に追い詰められ、家康は自害しようとすらしました。正に危機一髪です。家康の馬印が倒されたのは、この時の他には宿敵武田信玄との三方ヶ原の戦いのときだけです。

なぜ、家康は大坂の陣でここまで苦戦したのでしょうか?

それは、家康軍にとって、この大坂の陣は、「初めての戦い」だったからです。

「いやいや、そんなわけないでしょ。家康といえば、長年幾多の戦いを経て勝利してきているのだから、初めてのわけないじゃない。」と思う人も多いでしょう。確かに、「戦」という広い捉え方をすれば、初めてではありません。しかしこのとき、日本は、関ケ原の戦いから14年の長きに渡って戦がありませんでした。そのため、この大坂の陣に徳川方に参加した諸大名とその兵卒の大半は、実戦経験がないか乏しい者たちだったといいます。つまり、「初めて」の戦いといえます。そのため、次のようなことが起こりました。

①まず、味方崩れです。大した理由もないのに軍勢がいきなり崩れ、陣形を乱したばかりか、算を乱して逃げ崩れるという事態です。一部の兵卒が逃げ崩れた場合でも、それは他の軍勢にも恐怖を与え、波及しました。

②次に、味方討ちです。混乱のなか、誰が味方で誰が敵なのかを区別することができなくなり、遂に味方同士が戦い始めました。これは、戦場における合言葉などの味方の識別方法が徹底していなかったことによると考えられています。

③また、関ケ原前からの歴戦の武将たちにとっても、それまでの彼らの経験を活かすことは難しかったようです。例えば、「あなた方は巧者であるので、あの敵の様子をみて、今すぐ合戦を仕掛けてよいものかご教示願いたい」と懇願したある武将に対し、老将は次のように答えたとの記録があります。「私たちは関東で200~300人の敵といつも戦ってきた。だがこれほど広大な戦場に5万、3万の大敵を相手にしたことはない。今回ばかりは、実戦経験者もそうでないものも立場は同じである。だからあなた方の判断次第にするがよい」

④さらに、実戦経験の豊富な武将の作戦意図を、実戦経験の乏しい大名や兵卒たちは理解できず、うまく戦えなかったそうです。そして、軍艦を命じられた老将の中には、戦後に責任を問われて改易となり、不遇の晩年を送ることになった者たちもいました。

(以上、『真田信繁 幸村と呼ばれた男の真実』平山優 KADOKAWAより)

 

一方、秀頼率いる大坂方、つまり西軍の多くは、関ケ原の戦いで敗れた者たちが牢人となり再び天下に大乱が生じるのを待っていました。そのため、年齢は経ていたものの、実戦経験のある者が非常に多かったようです。真田信繁や後藤又兵衛といった名だたる物主クラスは皆、実戦経験者でした。

こうして、実戦経験豊富な大坂方西軍に対し、実戦経験がない、または乏しい者たちの割合が高い「初めて」の徳川方東軍は、大いに苦戦を強いられました。

 

「諸君。これが私たちの街の新たなランドマークとなるにふさわしい建築物である!」

1955年。ある街に新たな建築物を建設することになり、その建築物の設計に関するコンペが開催されました。世界中から公募を受け付けた結果、全部で200件を超える様々なデザイン案が提案されました。多くの独創的なデザインの中からどの1つを選ぶべきか、審査員たちは頭を悩ませました。

そんなとき、審査会場に遅れてやってきた審査員の一人が、一次審査で落とされたデザインの中から1つを取り出し、冒頭にあるように叫び、そしてそれがそのまま採用されました。これが、後に世界遺産にまで登録されるに至る建築物のデザインが選出された瞬間でした。

1959年、早速そのデザインに基づき建設作業が開始しました。・・・が、その後、当初の完成予定時期を過ぎても、一向に完成しません。建設費用もどんどん増えていきます。そのうち、このデザインを考案した者はプロジェクトから外されてしまいました。結局、この建築物が完成したのは、工事が開始してから14年後。工事費用は当初の14倍にも膨れ上がりました。この建築物は、オーストラリアはシドニーにあるオペラハウスです。

ご存知の通り、オペラハウスの屋根の形は極めて独創的です。あのような形の屋根が、力学的に安定した建物として存在し得るのか、当時の建築技術では検証できていませんでした。それにも関わらず、「デザインが素晴らしい!はやく完成させたい!」という気持ちから、設計作業が完成する前に工事が開始されたのです。

つまり、世界で「初めて」のデザインをもつ建築物なのにも関わらず、十分な設計を経ずして工事期間と建設費用を決めたのでした。これではその期間と費用内で完成できるはずがありません。

 

私達は、初めての場所に行く、という場合でも、例えスマホを使っても、道に迷ったりします。就活中の学生が面接当日に初めて企業を訪れる際に、道に迷って遅刻してしまうことも起こります。また、会社に入ったばかりの新人は、数か月後には簡単にこなせるようになる仕事でも、初めての場合にはうまくこなせません。

これは、過去の経験に照らして行うことができないので、何も参考にするものがないために起こります。つまり、「初めて」のことは、総じて何であれ、難しいのです。特に、初めてのことを初めてだと認識せず、「いつも通り」こなそうとすると、多くの場合、悲惨なほどの失敗に陥ります。

 

あなたの企業が最近受注したあの案件。それには、どのような「初めて」の要素がありますか?その要素について、対策を施していますか?もしもそれをせず、「いつもと同じだ」「いつも通りやればよい」という態度で臨むと、大変な損失を被ることになるかもしれません。

 

上記は、2冊目の著書『歴史が教えてくれる働き方・生き方』の50個のエピソードの中の1つです。他にも様々な時代と人物のエピソードが掲載されております。お求めの際は、できるだけ、通販ではなく、リアルの書店でご購入下さい!(その理由は、こちらに詳しく記載いたしました。ご確認ください)

なお、金額は、税込みで1650円です。

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