道を変えることは、負けではない

「はあ・・・。武士を辞めたい。」

洪庵は、ある武家の三男として生まれました。当時、武家に生まれたからには、武士として生きるのが通常でした。武士は読書と体を鍛えることがその日課でした。これは泰平の世の中でも変わりませんでした。

しかし、不幸にも、洪庵は体が生まれつき弱かったので、とても武士として大成できるとは、周りも自分自身も思っていませんでした。

「武士の家に生まれて武士にならないというのは、親不孝になります。その点は私も理解しています。しかし、このまま立派な武士にもなれそうにもないのに形だけ武士として生きていくのは、かえって親不孝になると思うのです。」

このような手紙を親に向けて書き、洪庵は、武士を辞め、他の職業で生きることを決意します。

 

「医者になってみたものの・・・どうやら自分は、医者には向いていないようだな。」

蔵六は、医者を辞めようか悩んでいました。彼は医学が嫌いだったわけではありません。若い時には、大阪にある有名な蘭学塾に通い、そこでメキメキと頭角を現し、塾頭にまで登りつめました。オランダ語で書かれた医学書を読みこなすことにかけて、彼の右に出る人はそうはいませんでした。

彼の家は、代々医者でした。そのため、自分も当然医者を継がなければならないと思っていたし、また、継ぎたいとも思っていました。しかし、いざなってみると、どうにもうまく行きませんでした。あまり繁盛しないのです。

なぜ患者が来てくれないのか、彼がその理由に気が付いていたのかどうかはわかりませんが、患者の側からしてみると、蔵六は決して良い医者ではありませんでした。例えば、村の者が、ある夏の暑い日に、蔵六に「今日は暑いですね」と挨拶をしたとき、蔵六は不愛想にもこう答えていたそうです。

「夏は、暑いのが当たり前です」

この一事だけで、患者が彼に見てもらいたくないと思うのもうなずけます。

彼がなぜこのような返事をするのかについては、彼があまりにも合理主義の信奉者であるため、「夏は当然暑い。暑いから夏というのだ。その当たり前のことをわざわざ言葉にするのはおかしい」と考えているためである、とか、または、彼は人間同士の関係を円滑なものにするための「挨拶」というものは無駄だと考えていたからだ、などといわれています。

真実のところは分かりませんが、もしも現代にこのような人がいたら、周囲とうまくやっていくことは難しいでしょう。

彼はとても医者を続けていくことはできないと思ったのか、彼は医者を辞めました。

 

職業は数多くあります。しかし、誰もが自分が望む職業につけるわけではありません。一定の学力や資格が必要なものもあれば、一定の経験が必要なものがあります。そのため、どんなにその職業に憧れていても、あきらめざるを得ない状況に陥ることは珍しくありません。また、実際に憧れの職業についたあとでも、なる前に思い描いていたイメージとのギャップに苦しみ、職を変えることもありえます。

こんなとき、多くの人は挫折を味わいます。つきたい職業につけなかったこと、または、ついた職業で活躍できなかったことで、「自分は負けた・・・」と感じてしまうのです。

 

この点に関し、次のような人がいました。その人は、もともと検察官を目指していました。司法試験に合格しなければ検察官にはなれません。そしてその人は遂に合格できませんでした。その結果、メーカーに就職し、企業の法務部に配属されました。いざ仕事を始めてみると、「検察官として自分がやりたかったことと、本質は同じだ」と感じたそうです。

検察官になりたいと考えた理由は、犯罪者を法に基づいて適切に処罰することで、被害者が前向きに生きて行けるようにしてあげたい、というものでした。

一方、メーカーの法務部は、事業部門の方々が日々遭遇する契約・法律問題の相談にのり、事業が円滑に進むのを支援することです。「どちらも、困っている人の力になるという点では同じだ」とその人は言ったのです。

普通に考えたら、検察官とメーカーの法務部は全く異なります。しかし、本人としては、本質の点で違わない、と感じ、メーカーの法務部として楽しく働いていけそうだ、と感じたというのです。

 

なりたかった職業につけないことが決まったとき、「そもそも自分はなぜ、その職業に就きたいと思ったのか?」と深く問いかける人がいます。その人は、おそらく、気が付きます。自分がある形で人の役に立ちたいと思っていたことに。そしてその形は、必ずしも1通りしかないわけではなく、何通りもあることに。

長い間、その中の1通りの方法に拘っていたのは、給料の多寡や世間体の問題であったかもしれないことにも気が付きます。そして、それをある程度取っ払って考えれば、必ずしもその1通りに拘る必要はなかったという境地に辿り着きます。

目指すべきは、「すごいと世間から思われる自分」ではなく、「周りに貢献できる自分」であったと思い直します。ここまでくれば、世の中には、なんとたくさんの選択肢が存在するのだろう!と思うでしょう。職業として成り立っている以上、それらは何かしら人に役に立つものであるはずだからです。あとは、その中から、自分に向いているもの、やっていて楽しいと感じるもの、続けていても飽きを感じないものを選べばよいのです。

このような心境になるのは、最初からなりたい職業に就くことができた人よりも、つけなかった人に多いようです。なれないとわかり、挫折を感じたときに、初めて自分の心に正直に向き合えるようになるのかもしれません。

世界的な成功者の中にも、途中で方向転換をした人は大勢います。

 

そういえば、冒頭で述べた体が丈夫でなかったために武士を辞めた緒方洪庵は、その後医者になり、大阪に適塾という蘭学塾を建て、門弟3000人となり、福沢諭吉や赤十字創設者である佐野常民など、幕末から明治にかけて日本の近代化のために活躍する多くの人材を輩出するに至ります。

また、村田蔵六は、その適塾の塾頭でした。彼は医者を辞めた後、長州藩の軍司令官となり、その類まれなる戦略と戦術を駆使して討幕を成し遂げ、明治陸軍の創設者となります。靖国神社にある銅像、大村益次郎は彼です。道を変えても、活躍できるんですね。

 

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