TOEIC400点台で海外案件に関わるようになってから独立するまで②

   

この記事は、「TOEIC400点台で海外案件に関わるようになってから独立するまで①」の続きです。

 

会社を辞めることは、なんとか思い留められました。上司と長時間面談をする間に、やっぱり自分にはここしかないと思うに至ったのです。

 

辞めずに思いとどまったことの理由として、それまでの人生で、私は様々なことを中途半端にしてきたので、ここで会社を辞めたら、それこそ何も残らない、と感じたからなんです。

 

例えば、私は中学時代に陸上部に所属しており、中距離を専門としていたのですが、それなりに試合に出て、県で6位とか8位などになっていました。そのため、高校でも陸上を続け、「目標はインターハイ出場です!」などと周りに言ってたんです。

 

しかし、ケガやら何やらが原因で、結局、高校二年生の途中で部活を辞めてしまいました。インターハイなど、箸にも棒にもかからないレベルでした。

その頃から、少しうまく行かないと割とすぐに「・・・なんんか向いてないな。他の道に行こう」とあきらめる感じになっていたんです。

 

その後、大学は工学部に入ったものの、年次が進むにつれて将来に悩み始めたんですね。半導体の勉強とか、材料・流体力学・物理・プログラミング・製図・実験など、色々と工学の勉強も自分なりに頑張ってみたんですが、なんか面白いと思えないないな・・・と思い(いや、正確には、「何だ、これ??よくわからないな。っていうか、全然面白くないかも・・・」と感じてしまったんです)、途中で「自分は実は文系、特に法律が向いているのではないか?」などと考えて、工学部の勉強は単位を取れればいいという程度に抑えて、残りはひたすら法律、具体的には司法試験の勉強をし始めました。

 

つまり、ここでは、工学を途中でやめたわけです。

 

では、司法試験も受かるまで続けたかというと、そうではないんですね。大学院は法学研究科に進み(当時はまだロースクールはなかったので、法学部の大学院です)、1年休学してまで臨んだ司法試験に不合格となったとき、私は26歳になっていました。司法試験に合格する平均年齢が当事は確か28~29歳などだったので、まだまだ諦めるには早いと思われるかもしれませんが、自分の中では、これ以上、職についていない状態で勉強だけして生きていく、というのは耐えられませんでした。そして、ここでもやはり、途中で司法試験を諦めるわけです。

 

結局、全てが中途半端・・・。

そんな状態で、せっかく入った企業までも9カ月ほどで辞めたら、本当にこの先、自分は何かを続けられるのだろうか?何も身につかないまま一生を終えるようなことになるのではないか?

 

そんな風に感じたわけです。

 

そのため、もう耐えられない!と思って勢いで辞表を上司に提出したものの、長時間じっくり面談をされると、勢いだけでは辞めきれないようになり、逆に「ここで辞めたら、本当にどうしようもなくなるのではないか?せめてここで、それなりのレベルになるまで頑張るべきではないのか?」と思うに至りました。

 

そうして、なんとか、辞めるのを思いとどまり、ここで何とか生きて行けるように頑張ろう!と思うようになったのでした。

 

なので、もしも、辞表を提出したときに、上司が少しだけ話をして、「わかりました」といわれていたら、間違いなくその時点でやめていました。正に、「このまま辞めますか?辞めませんか?Final Answer?」という瞬間があったわけで、その時のことを思い出すと、今でも緊張してしまいます。結果的に、「すみません。やっぱりやめません。」と答え、辞めずにそこで10年の経験を積んで、本当によかったと感じているからです。

 

その後、どのように仕事に取り組むことになったのか?

次回に続きます!

 

 - TOEIC400点台で海外案件に関わるようになってから独立するまで①