百聞は一見に如かずの実例

      2016/12/02

 

「百聞は一見に如かず」ってどういうこと?

 

「百聞は一見に如かず」

 

この意味は多くの方がご存知ですよね。

 

何回聞いても、それを一回見ることで得られるものの方がよりリアルにそれを知ることができる、といった意味でしょう。

 

では、「これを実感したことがある!」という方はどのくらいいるでしょうか?

 

今回は、歴史の中で、これはまさに百聞は一見に如かずだな、と私が感じた2つの話をご紹介したいと思います。

 

 

攘夷を捨てた人達のはなし

 

「攘夷は止めだ」

 

一人の若者が声を誰に言うともなく、声を上げました。

 

するとその近くにいたもう一人の色黒の若者は、「男子が一度決意したことをそう簡単に覆してはいけない」と言いいました。

 

しかしこの色黒な若者も、心の中で迷い始めていました。

 

「なんて立派な船の群れだろう。これが日本に攻めてきたら、ひとたまりもないだろう・・・。」

 

 

 

この若者たちは、長州藩の人間です。この時代、江戸幕府は無断で海外に行く者達を厳しく取り締まっていました。

 

また、長州藩でも、外国人を極度に嫌っており、もしもこの二人が海外に行っていたということがあとで長州藩の人間に知れたら、たちまち殺されてしまうかもしれないという、そんな時代でした。

 

しかし、この好奇心旺盛な若者らは、自分の目で外国を見ないことには、その外国と戦う作戦も練ることができない、と思っていました。

 

そのため、長州藩の中でも先見の明がある者が画策し、若者数人を英国に密航させ、英国をその目で直に見てくるように、と図ってくれたのです。

 

英国に行く途中、中国の上海港に立ち寄りました。

 

上海港には、船が繋がれていました。

 

しかし、その船はこの若者たちが知っている船とはまるで違う巨大な、そして戦闘能力が日本の船とは比べ物にならないほどのものでした。

 

しかもその船が一隻ではなく、何隻も何隻も繋がっていたのです。

 

それを見た時、若者の一人がこう思いました。

 

「これらを持つ外国ともしも日本が今戦ったら、その時日本はひとたまりもないだろう。もう攘夷を単純に唱えていても、外国人を打ち払うことなどできるはずがない。」

 

そう思った瞬間、思わずこんな言葉が漏れました。

 

「もう攘夷は止めだ。」

 

しかし、これを聞いた色黒の若者は、さすがにそれは変節しすぎだろうと思いました。日本を離れてからまだ数日しかたっていないのです。それにも関わらず、その心の変わりようは、男子としてよろしくない、そんな意味の言葉を言いました。しかし、攘夷は止めだ、といった若者は、自分の言葉を取り消そうとはしませんでした。

 

色黒の若者も、正直その心の中は揺れていました。そして上海から英国までの航海の途中では、上海で見た何隻もの船の像が頭の中から決して消えなかったのです。

 

そうして英国に到着し、街を歩いていくうちに、この色黒の若者も、遂にこう思いました。

 

「日本が今の力で攘夷をするのは無謀だ」

 

彼が英国の街の中で見たのは、日本には決してない進んだ文明でした。

 

英国は、周りが海に囲まれている点、大きさ、人口、それらで日本と大きくは変わりませんでした。

 

それにも関わらず、この英国と日本の間についてしまった差はいったい何が原因だろう?

 

片や大英帝国という史上かつてないほどの文明国を築き上げているのに、片や太平洋の真ん中で心細く浮かんでいる島国は、今や外国からの脅威に怯えている・・・。

 

日本はどこでどう間違ったのか?どこでこんなにも遅れてしまったのか?もはやこの英国が代表する西洋というものに追いつく術はないのだろうか?

 

こんなことをこの二人は日本から遠く離れたこの英国の地で毎日思いました。

 

彼らは、攘夷、つまり、日本が外国を打ち払うためには何をしなければならないのか、ということを探るために英国に来たのです。

 

言ってみれば、西洋文明の弱点を探しに来たような気持でした。

 

しかしこのとき、彼らは弱点を見つけることはできず、むしろ日本がどう頑張っても今のままでは勝てない、ということを思い知る結果となったのです。

 

そして、彼らが導き出した答えはこうでした。

 

「外国と積極的に交易を行い、日本を富ませ、その上で、彼らが持つのと同じだけの武器を持つようにすること」

 

つまり、攘夷をするためには、まずは国力を充実しなければならず、そのためには、外国と積極的に交わっていくべき、ということでした。

 

 

 

この二人は、日本を出発する前には、激しい攘夷論者でした。

 

幕府が開国し、外国と貿易をすることを激しく非難していました。

 

そんな彼らが、誰に熱弁を振るわれたわけでもない、誰かに脅されたわけでもない、単に彼らは英国でその文明を見た、というただそれだけで、長年彼らが持ち続けていた攘夷思想を根本から覆すに至りました。

 

このとき、この二人の生きていく方向が決まったといってもよいかもしれません。

 

なぜなら二人は、この後、討幕のために果敢に命を懸けて戦い、遂には討幕を成し遂げることに貢献します。さらに時代が明治になったときには、日本が先進諸国に追いつき追い越すために大きな働きを成し遂げることになります。

 

上海港で「攘夷はもう止めだ」と言った若者、彼は明治になって外務大臣、農商務大臣、および大蔵大臣等を歴任した、井上馨です。

 

そして、英国で「攘夷は無理だ」と思った若者、彼は後の初代内閣総理大臣、伊藤博文です。

 

 

 

横浜で挫折した人

 

「・・・読めない。この文字はなんだ?」

 

一人の男が、ある看板の前で呆然と立ち尽くしていました。

 

「・・・何を言っているのか聞き取れない。あれはなんだ?」

 

道行く者たちが楽しそうに話をしているその言葉が全くわかりませんでした。これはどういうことなのだろう?

 

この男は、九州で生まれました。

 

非常に秀才で、若い時には大阪でオランダの学問、いわゆる蘭学を学ぶために、大阪の有名な蘭学塾に通っていたこともあります。非常に優秀だったために、その塾の塾頭にもなったことがあるほどでした。

 

彼が25歳のとき、江戸で蘭学塾を開くことになりました。

 

彼は自分の蘭学のレベルに非常に自信を持っていました。江戸中のオランダ語の大家にも負けないと思っていました。

 

そんな彼が、江戸に到着して早々に横浜に行こうと思いました。

 

これまで彼は蘭学を必死になって勉強してきたのだが、一度も海外に行ったことがありませんでした。そのため、最近外国向けて開港された横浜に行けば、西洋というものに直接触れることができるだろうと考えたのです。

 

そして横浜に来て、ふとあたりを見回すと、一つの看板が目に入りました。

 

なんと書いてあるのだろう。そう思って近づいて行ったとき、彼は驚きました。

 

読むことができなかったのです。

 

というよりも初めて見る文字がそこにはありました。

 

周りを見回すと、ほかにも外国語らしき文字が書かれたものがいくつもありました。

 

彼はこれまで彼が学んできたオランダ語を祈るような気持ちで、必死になってその中に探してみました。

 

しかし、それはありませんでした。

 

また、道を歩いている外国人の言葉も、明らかにオランダ語ではありませんでした。そのため、彼は全く理解することができなかったのです。

 

彼は打ちのめされるような気持になりました。

 

彼はこれまで、長年かけて必死にオランダ語を学んできました。オランダ語を知れば西洋を知ることができる。そう信じてきたからこそ、あの膨大な根気が必要となる作業をこれまで続けてくることができたのです。そしてそのオランダ語に関しては、彼は自分の右に出るものはほとんどいない、というレベルにまで到達したと思っていたのでした。

 

つまり、彼の自信の源は、オランダ語でした。

 

しかし今、ここ横浜で、彼が目にすることができる文字は、ことごとくオランダ語ではありませんでした。

 

それは何か?

 

英語です。

 

彼はそれを知った時、今の世界の中心は、イギリスなのだと初めて知りました。

 

この少し前まで、日本という国は、オランダと中国としか交易をしてきませんでした。

 

自然と、西洋のことはオランダ語の書物で知ることになりました。

 

そのうち、誰が言ったわけでもないのだが、「西洋の中心はオランダである」と無意識のうちに日本人は思うようになっていたのではないでしょうか。

 

しかし、オランダは欧州の中で必ずしも強国でもなければ、文化・技術において中心的な存在でもありませんでした。

 

この男は、横浜でこれまでに見たこともなかった英語で書かれた看板や英語の会話を聞くことで、「世界は英国が中心なのだ」と思ったのかもしれません。

 

その後、彼は落胆しながら江戸に戻りました。途中、ほとんど飲まず食わず歩きました。

 

そして江戸の屋敷に戻ると、自分の部屋に直行し、頭から布団をかぶって考えはじめました。

 

「なんてことだ。これまで俺は、オランダ語を身に着ければそれで西洋に関しては十分に知りえる、と思って勉学に励んできたのに、オランダ語じゃこれからの世の中はついていけなくなるに違いない。とはいえ、今から英語を学んでどうなるのだろうか。オランダ語の習得ですら、相当な期間がかかったのに、今ゼロから英語を学ぼうとしたら、いったいどれほどの時間が必要になるのだろうか・・・」

 

彼は、絶望のような気持ちになり、さすがに涙が出そうになりました。

 

私たちも、英語を中学校の時からひたすら勉強してきましたが、いきなりドイツ語をやれ、と言われたら、いったい何年かかってわかるようになるのか?という気持ちになるでしょう。正直、英語に費やした労力をまたほかの言語のために費やすということはしたくない、と思う人がほとんどではないでしょうか。

 

しかし、彼には、とるべき道は一つしかないように思えました。今から英語を学ぶのです。

 

「これまで学んだオランダ語で世界の書物を読むことはできるだろう。今さら英語を学ぶ必要はない、という考え方もあるだろう。しかし、それでは世の中の流れについていけなくなる。こうなったら、英語を1日でも早く学び始めなければならない」

 

彼は横浜で衝撃を受けた次の日には、これからは英語を学ばなければならない、と考えていました。

 

彼はすぐに蘭英辞典、つまりオランダ語を英語に訳している辞書を入手し、勉強を始めました。

 

すると、一つのことに気が付きました。

 

それは、オランダ語と英語は、その文法が非常に似ているということです。

 

彼はその時、大いに安堵し、かつ、大きな希望を持ちました。

 

「文法が同じなら、あとは単語と発音だけではないか!」

 

最初に英語をゼロから学ぼうと決断していたため、オランダ語と英語の文法が似ていると知り、彼は当初思ったよりも相当少ない労力で英語を習得できるようになれるだろうという希望を持つことができました。

 

こうなると、彼は持ち前の前向きさを取り戻し、英語の習得に向けて全力で取り組み始めました。

 

そうして、彼は数年後には、英語を身につけることに成功しました。

 

 

 

この横浜で大いに驚き、落ち込み、それでも英語を学ぶことを即座に決断したこの人は、後に東京に有名な学校を建てることになり、さらに後年には、学問をすることの大切さを日本人に対して説く本を書きます。

 

この人は、福沢諭吉です。

 

 

 

実際に経験するということ

 

福沢諭吉が横浜で英語に出会ったこと、井上馨と伊藤博文が英国で進んだ文明を目の当たりにしたこと、これらは彼らのその後の人生を大きく変えたといってよいでしょう。

 

福沢は、それまで西洋の学問といえばオランダの学問が中心だと思っていたのが、横浜で英語に出会い、英国が世界の中心であると直感しました。そしてその興奮冷めやらぬまま江戸に戻り、英語を学ぶ決心をします。そして慶応義塾大学を開き、多くの学生に西洋文明を学ぶ場を提供します。

 

井上馨と伊藤博文は、当初攘夷の急先鋒のような人たちでしたが、実際に英国の文明を見ることで、その考えを180度変え、まずは開国して外国と肩を並べるようにならなければならない、と思うに至り、その実現に向けて活動していきます。

 

この3人にその考えを変えさせたもの、それは英国を直接に見た、または触れた、ということだと思います。

 

人は、様々なものに対して自分なりの考えというものを持っています。

 

そして、その自分の考えを変えるということは難しいことです。

 

どんなに人から説得されても、どんなに脅されても、自分の考えはなかなか変えられません。

 

表面上は、あたかも考えが変わったかのように振る舞うことはできます。

 

しかし、自分の心に嘘は付けず、実は変わっていない、ということはよくあるのではないでしょうか。

 

この3人も同じだったのではないでしょうか。

 

福沢は、「蘭学こそ西洋の学問の中心だ」と思い、井上と伊藤は、「攘夷こそ日本がとるべき道だ」と思っていたはずです。

 

彼らの考えを変えさせることの難しさは、同時代の彼らと同様の環境で生きていた人たちを見れば容易にわかります。外国に直接触れる機会がなかった彼らは、この3人のようにあっさりと自分の考えを変えることはできませんでした。

 

この3人を変えたのは、見た、あるいは実際に経験した、ということでしょう。

 

どんなに権威のある人からいくら話を聞かされても、全く心が動かされないのに、実際に経験すると、あっさりと考えが変わってしまう。変えようと思ったから変わるのではなく、自然と変えざるを得なくなってしまう。

 

これがまさに、実際に経験することの力なのかもしれません。

 

そしてこのような現実に直面して方針を転換したのは、何も個人のレベルにとどまりません。

 

幕末において、攘夷の急先鋒だった長州藩と薩摩藩は、どちらも外国と戦っております。

 

長州藩は下関にて、米国、英国、オランダ、フランスの4か国連合と戦い、その圧倒的な軍事力の前で完敗します。

 

一方、薩摩藩も英国と戦い、これまた完膚なきまでに叩きのめされます。

 

興味深いのは、この2つの藩が、この戦いを境に、攘夷はもはや不可能だ、と考えるようになり、明治維新の急先鋒となり、遂には結託して幕府を倒し、その後は積極的に外国と交易を行うことで国を富ませ、その富で武力を蓄える、という方向に日本を持っていくことになることです。

 

この2つの藩も、実際に外国との戦争という経験から現実を痛いほど知り、その結果として藩レベルで心を変えた実例と言えると思います。

 

(上の写真は、長州藩が四国連合艦隊との戦いで使用した砲台の模型です)

 

何かに迷ったら・・・

 

今、私たちの世界は、容易に情報が手に入る時代になりました。

 

そのため、ネットを見れば、何でもわかるような気持になってしまいがちです。

 

これは単に、人の話を聞かされている状態とほとんど変わらないのではないでしょうか。

 

しかし、実際に現場に行くことで、初めて、現実が私たちの心に直に迫ってくる、そこで初めて自分が何かを感じる、こういうことが言えるように思います。

 

この3人のエピソードは、ネットで見たからと言ってわかったつもりにならず、実際に現実を見るために出かけていくことで、これまでとは違った自分になるチャンスを得られるかもしれない、そんなことを私たちに教えてくれているように思います。

 

何かに迷ったり、いまひとつ決断できないでいたりするときは、現場に直接行ってみると、自分が進むべき方針が見えてくるかもしれませんね!

 

 - 歴史上の人物・出来事から学んだこと